「檸檬」を読んで
つづめていえば、これは檸檬一つで幸せになった男の話である。主人公の男はみすぼらしくて美しいものに無性に引き付けられる、一風変わった人間だ。ある日、ほんの気まぐれで檸檬を一つ買った。すると、心にのしかかっていた憂鬱が紛らわされ、男は幸せになった。モデルは梶井基次郎自身だという。
単純な色、簡単な形(紡錘形)、快い感触。それだけで男は檸檬に魅了された。現実ではどうだろう。檸檬を「ただの果物」と考える人が断然多いだろう。檸檬一つで幸せになれる人はそうそういまい。この点からすると梶井基次郎は極めて単純な人だと思う。単純な人であるこそ、檸檬が単純に映っているのだ。しかし疑問に思うこともある。檸檬一つで本当に幸せになれるのだろうか。それは単なる思い込みに過ぎないのではないのかと。
個人的には最後の場面が一番お気に入りだ。男はお店の中で手当たり次第に本を積み重ね、その上に檸檬を置いた。檸檬を爆弾に見立て、本が木端微塵になるのを空想しながら男は何食わぬ顔で立ち去った。お店からすればとんだ迷惑なお客さんだろうが、そういった空想自体が最高だ。梶井基次郎って意外と子供っぽい一面があるんだなあと思った。
余談だけど、「花は桜木、人は武士」(花と言えば桜、人と言えば武士)という言葉があるが、私の中では、「蜜柑は芥川龍之介、檸檬は梶井基次郎」(蜜柑と言えば芥川龍之介、檸檬と言えば梶井基次郎)だ。
単純な色、簡単な形(紡錘形)、快い感触。それだけで男は檸檬に魅了された。現実ではどうだろう。檸檬を「ただの果物」と考える人が断然多いだろう。檸檬一つで幸せになれる人はそうそういまい。この点からすると梶井基次郎は極めて単純な人だと思う。単純な人であるこそ、檸檬が単純に映っているのだ。しかし疑問に思うこともある。檸檬一つで本当に幸せになれるのだろうか。それは単なる思い込みに過ぎないのではないのかと。
個人的には最後の場面が一番お気に入りだ。男はお店の中で手当たり次第に本を積み重ね、その上に檸檬を置いた。檸檬を爆弾に見立て、本が木端微塵になるのを空想しながら男は何食わぬ顔で立ち去った。お店からすればとんだ迷惑なお客さんだろうが、そういった空想自体が最高だ。梶井基次郎って意外と子供っぽい一面があるんだなあと思った。
余談だけど、「花は桜木、人は武士」(花と言えば桜、人と言えば武士)という言葉があるが、私の中では、「蜜柑は芥川龍之介、檸檬は梶井基次郎」(蜜柑と言えば芥川龍之介、檸檬と言えば梶井基次郎)だ。
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(だが、)現実ではどうだろう。
単純な人であるからこそ、(彼の目には)檸檬が単純に映っているのだ。(映るのだ。)*「映る」という表現を使うのであれば、「彼の目には」という言葉を入れるのを、私はおすすめします。
しかし疑問に思う(こともある。)
それは単なる思い込みに過ぎないのではないかと。(ではないのか。)
梶井基次郎って意外と子供っぽい一面があるなあ。*この一文だけ、文体がくだけていますが、意図的ですか?
余談だけど(だが)、「花は桜木、人は武士」(花と言えば桜、人と言えば武士)という言葉があるが、私の中では、「蜜柑は芥川龍之介、檸檬は梶井基次郎」(蜜柑と言えば芥川龍之介、檸檬と言えば梶井基次郎)だ。
ご遠慮なく指摘してください!!!勉強になりました。^^
単純な人であるからこそ、檸檬が単純に映ったのだ。
>丸善の京都店は既に閉店しました
とても残念ですね。
作家のゆかりの地だから、絶対につぶれることがないと思ったのに。T^T
単純な色、簡単な[or 単純な] 形(紡錘形)、快い感触。
(さて、)現実ではどうだろう。 [alternative]
檸檬を「ただの果物」と考える人が断然多い(こと*)だろう。 [*You could add the words in the parentheses.]
檸檬一つで幸せになれる人はそうそういまい[or そうはいまい or そういまい]。
しかし疑問に思う[or 感じる] こともある。
本当に檸檬一つで幸せになれるのだろうか。 [alternative]
それは単なる思い込みに過ぎないのではないのか(、*)と。
余談だけど[or 余談になるが]、「花は桜木、人は武士」(花と言えば桜、人と言えば武士)という言葉があるが、私の中では、「蜜柑は芥川龍之介、檸檬は梶井基次郎」(蜜柑と言えば芥川龍之介、檸檬と言えば梶井基次郎)だ。
簡単にいえば、これは檸檬一つで幸せになった男の話である。
主人公の男は、みすぼらしくて美しいものに無性に引き付けられる、一風変わった人間だ。"、"が無いと 男がみすぼらしい と誤解して読んでしまい、後半で違うことに気付くので、ちょっとイラっとします
その檸檬の単純さに、男は魅了された。
檸檬一つで幸せになれる人はそうそういない。
中国へようこそ!!!
主人公の男はみすぼらしくて美しいものに無性に引き付けられる、一風変わった人間だ。(この文章は「主人公の男は、みすぼらしくて美しいものに無性に引き付けられる」と「主人公の男はみすぼらしくて、美しいものに無性に引き付けられる」とでは意味が違いますね。「、」をどちらかに付けないと、読み手に誤解を与えます。)
だが、現実ではどうだろう。
単純な人であるからこそ、檸檬が単純に映るのだ。
個人的には最後の場面が一番気に入っている。(「お気に入りだ」とすることで、せっかくの文章が甘くなりますね。)
つづめていえば、これはレモン一つで幸せになった男の話である。 本の題名をそのまま引用しての「檸檬」と書かれたことは重々承知しておりますが、その所感を述べられる段階においては、本のタイトルから離れて、現代日本語でより多く表記されている「レモン」がよろしかろうと思います。
お店からすればとんだ迷惑なお客さんだろうが、そういった妄想をすること自体が最高だ。 前文で使用している「空想」の反復を避ける意味と、より突飛な主観的な空想を意味する「妄想」に変えました。
ところで、中国語ではレモンを今でも(?)檸檬と書くのですか。
中国語では「檸檬」を「柠檬」(簡体字)と書きますよ。発音はレモンと似ています。
簡単に言うと、これはレモン一つで幸せを感じた男の話である。 ※①読書感想文という観点からすると表現が堅すぎますね。②「幸せになった」・・・僕もこの小説を読んだことがありますが、主人公の気持ちをもっと些細に感じる表現としては「幸せを感じた」とした方が良いと思います。
主人公の男はみすぼらしくも美しいものに無性に引き付けられる、一風変わった人間だ。 ※男は「物が放つ美しさの雰囲気」に惹かれている様子を小説内では表現されています。その「美しさ」を強調するにはこの表現の方が良いでしょう。
男はある日、ほんの気まぐれで檸檬を一つ買った。 ※前後する文節に「男は」と続くので書くことを避けたと思いますが、僕、個人的には主語は必要だと思います。
すると、心にのしかかっていた憂鬱が紛らわされ、彼は幸せになった。 ※「男は」と続いているので、ここでの主語は「彼は」としてみました。
単純な色や形(紡錘形)、快い感触。 ※「単純な色」「単純な形」とした方が良いと思います。よって、ここでは「色」「形」をひとくくりにしてみました。
しかし、現実はどうだろう。 ※他の添削者の方と同じ意見です。この場合、文頭には英語の"However"にあたる表現を持ってきた方が良いでしょう。
檸檬一つで幸せになれる人はそうそういない。 ※他の添削者の方と同じ意見です。①「そうそう」を活かした表現をするなら「そうそういない」とした方が良いでしょう。②一方、「いまい」を活かした表現をするなら「そうはいまい」とした方が良いでしょう。
単純な人であるからこそ、彼の目には檸檬が単純に映っているのだ。 ※他の添削者の方と同じ意見です。
しかし、私は疑問に思うこともある。 ※①「しかし」の後には、句読点をつけた方が良いです。②個人的な意見ですが、「疑問に思うこともある」という表現の前には「私は」という主語を入れた方が良いでしょう。
それは単なる思い込みに過ぎないのではないのか、と。 ※基本的に他の添削者の方と同じ意見です。ただ、僕がこの文節を書くなら「『それは単なる思い込みに過ぎないのではないか?』と。」と、書きます。
個人的には最後の場面が一番気に入っている。 ※他の添削者の方と同じ意見です。
お店からすればとんだ迷惑なお客さんだろうが、そういった妄想をすること自体が最高だ。 ※他の添削者の方と同じ意見です。
余談だが、「花は桜木、人は武士」(花と言えば桜、人と言えば武士)という言葉があるが、私の中では、「蜜柑は芥川龍之介、檸檬は梶井基次郎」(蜜柑と言えば芥川龍之介、檸檬と言えば梶井基次郎)だ。 ※「余談だけど」・・・この場合は、言葉が優しくなりすぎてしまうので不適切です。「余談だが」Or「余談になるが」などにした方が適切です。
梶井基次郎は、かなり子供っぽくストレートな人というイメージがあります。
ちょっと下品な話で申し訳ないですが、彼の逸話の中で印象に残っている話をしましょう。
「好きでもない女性に好かれたとき、あなたはどうするか?」という質問を受けた時、
彼は「そんなの簡単だ!女と一緒に寝ている布団の中で大便をすればよい!」と答えたという逸話が残っています。
別の小説家が答えた「女から気づかれないように、畳の目ひとつづつジリジリと下がれば良い」という言葉とは対照的です。
僕自身は、この小説を中学2年の時に読みました。と、いうより国語の教科書に出ていたのを授業で習ったのですが、八百屋などの店の様子がとても鮮やかに描かれていて思わず原文を読みました。もう70年ほど前の小説なのですが、それでも、その鮮やかさは今でもあせることがありません。この感性が彼の真骨頂なんだと思います。
文章をうまく書ける作家たちは、実際の恋愛が苦手な人が多いような気がしますね。
「得意な人は、書くより実践するんじゃないかな」と新聞で読んだことがあります。
ところで、昔から思っていたのですが、どこか病んでいないと良い作家にはなれないでしょう。「肺病になりたい。肺病にならんとええ文学はでけへんぞ」と梶井基次郎も言いました。しかし、身を削りながらも作品を書く作家が今時はあまりいないですね。