文章を書かない時代
昔とは言えないけれども
五十年前の人が書いた文章を見れば
驚くほどうまいという印象が強かった
でもほんとに先輩たちがうまいだったのか
それどもわたしたちのレベルが低すぎるか
わたしは後者のほうだと思う
一般人もさることながら
作家さんたちのレベルはどんどん下がっていく
今のベストセラーなどを見れば
間違えだらけだが
言ってる意味はその字面で一目瞭然
前のように文字を磨いてから
文章を書くのと大違い
日本語の中には好きな言葉がある
「言霊」
確かにそうだ
言葉には魂がある
人間は言葉を操り
そして言葉に影響されやすいである
でも今の時代では
言葉での表現力は著しく下がり続けてある
その原因を探ると
科学的の進歩と関わりがあるそうだ
現在では何でも便利になってゆくきらいがある
便利はほんとにいいことずくめでしょうか
パソコンや携帯があれば
字を書く必要がなくなる
テレビや映画などがあれば
本を読む必要もなくなる
それは家の近くでコンビニができて
何でも買えるようになって
自分がわざわざする必要がなくなったといっしょ
一方便利されたほか
人々の生活のパースもどんどん加速していく
でもおかしいことに
前より何でも早めに出来上がるのに
まだ忙しい忙しくてしょうがない
気が付いてないうちに多忙が毎日
「忙」という文字自身は心辺に亡くす
つまり本心をなくしちゃうきらいがあるのだ
最悪の場合は生きてる意味を失われ
命を絶ったことも少なくないだろう
それは全部便利から発足したものである
実は便利っていうのは
きっと誰かが何かが自分の代りにやるべきことを
やってくれるという意味だ
一番発展を誇る米国では
オビシティー、いわゆる肥満病が結構の問題になっているらしい
なぜそうなったのか
彼らの一日の移動方法から見ればわかる
家を出るたび
自動車で移動
会社に着いたらオフィスまでは
エレベータかエスカレーター
つまり自ら歩く必要がない
便利は便利だが、機械に頼れっぱなしで
人間は不健康になった
医学的ではそういう理論があるそうだ
人間の体のなか使わない部分がどんどん委縮していく
交通事故で足のげがになった病人は
病院のベットで寝たきりになってから二か月
ようやく自分で歩くようになった
その時の足状態をのぞくと
細くてもうすでに委縮していた
それは自然の掟で
下げられない傾向である
だから危ない
だって今の人はぜんぜん文章を書かないんだ
時の流れによっていつかぜんぜん書けなくなるだろう
人はよく頭がいい=知的だという
元々知的っていうのは
読む力(情報を分析する力)と書く力(自分の言いたいことをちゃんと
表す力、つまり表現力の豊富さ)
でも現在の人は本をあんまり読まないうえに
文章を書かない
知らないうちに頭が委縮してるではないか
いつか思考力を失い
ロボットのように
何でも感じられなくて(神経はすでに麻痺されてたから)
プログランムされたままで
残った日々を生かす
情けない・・・それこそ人間失格だ
わたしも
ベンを握りながら
字の書き方が忘れた体験がある
悔しくてたまらない
自分の感性が鈍くならないように
読書や作文で頑張っている
五十年前の人が書いた文章を見れば
驚くほどうまいという印象が強かった
でもほんとに先輩たちがうまいだったのか
それどもわたしたちのレベルが低すぎるか
わたしは後者のほうだと思う
一般人もさることながら
作家さんたちのレベルはどんどん下がっていく
今のベストセラーなどを見れば
間違えだらけだが
言ってる意味はその字面で一目瞭然
前のように文字を磨いてから
文章を書くのと大違い
日本語の中には好きな言葉がある
「言霊」
確かにそうだ
言葉には魂がある
人間は言葉を操り
そして言葉に影響されやすいである
でも今の時代では
言葉での表現力は著しく下がり続けてある
その原因を探ると
科学的の進歩と関わりがあるそうだ
現在では何でも便利になってゆくきらいがある
便利はほんとにいいことずくめでしょうか
パソコンや携帯があれば
字を書く必要がなくなる
テレビや映画などがあれば
本を読む必要もなくなる
それは家の近くでコンビニができて
何でも買えるようになって
自分がわざわざする必要がなくなったといっしょ
一方便利されたほか
人々の生活のパースもどんどん加速していく
でもおかしいことに
前より何でも早めに出来上がるのに
まだ忙しい忙しくてしょうがない
気が付いてないうちに多忙が毎日
「忙」という文字自身は心辺に亡くす
つまり本心をなくしちゃうきらいがあるのだ
最悪の場合は生きてる意味を失われ
命を絶ったことも少なくないだろう
それは全部便利から発足したものである
実は便利っていうのは
きっと誰かが何かが自分の代りにやるべきことを
やってくれるという意味だ
一番発展を誇る米国では
オビシティー、いわゆる肥満病が結構の問題になっているらしい
なぜそうなったのか
彼らの一日の移動方法から見ればわかる
家を出るたび
自動車で移動
会社に着いたらオフィスまでは
エレベータかエスカレーター
つまり自ら歩く必要がない
便利は便利だが、機械に頼れっぱなしで
人間は不健康になった
医学的ではそういう理論があるそうだ
人間の体のなか使わない部分がどんどん委縮していく
交通事故で足のげがになった病人は
病院のベットで寝たきりになってから二か月
ようやく自分で歩くようになった
その時の足状態をのぞくと
細くてもうすでに委縮していた
それは自然の掟で
下げられない傾向である
だから危ない
だって今の人はぜんぜん文章を書かないんだ
時の流れによっていつかぜんぜん書けなくなるだろう
人はよく頭がいい=知的だという
元々知的っていうのは
読む力(情報を分析する力)と書く力(自分の言いたいことをちゃんと
表す力、つまり表現力の豊富さ)
でも現在の人は本をあんまり読まないうえに
文章を書かない
知らないうちに頭が委縮してるではないか
いつか思考力を失い
ロボットのように
何でも感じられなくて(神経はすでに麻痺されてたから)
プログランムされたままで
残った日々を生かす
情けない・・・それこそ人間失格だ
わたしも
ベンを握りながら
字の書き方が忘れた体験がある
悔しくてたまらない
自分の感性が鈍くならないように
読書や作文で頑張っている
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でもほんとに先輩たちがうまかったのか
間違いだらけだが
言葉での表現力は著しく下がり続けている
科学的の進歩と関わりがあるそうだ
それは家の近くにコンビニができて
自分がわざわざする必要がなくなったことといっしょ
一方便利になったほか
人々の生活のペースもどんどん加速していく
まだ忙しい、忙しくてしょうがない
いつのまにかに毎日が 多忙
最悪の場合は生きてる意味を失い
命を絶つことも少なくないだろう
きっと誰かが、何かが自分の代りにやるべきことを
人間の体のなかの使わない部分がどんどん委縮していく
何にも感じられなくて(神経はすでに麻痺されてたから)
プログランムされたままで
字の書き方を忘れた体験がある
とても同感します!
もっと文章を磨きたいです。
でもほんとに先輩たちがうまかったのか
それともわたしたちのレベルが低すぎるか
そして言葉に影響されやすい
言葉での表現力は著しく下がり続けてる
科学の進歩と関わりがあるそうだ
一方で、便利されたほか
人々の生活のぺースもどんどん加速していく
命を絶つことも少なくないだろう
便利は便利だが、機械に頼りっぱなしで
医学ではそういう理論があるそうだ
人間の体のなか使わない部分はどんどん委縮していく
交通事故で足をげがした人が
残った日々を生かされるようになるだろう
科学的の進歩と関わりがあるようだ。(あなたの予想なら)
便利はほんとにいいことずくめだろうか(だである調に揃えて)
自分でわざわざ家事を(料理を)する必要がなくなったといっしょ(わざわざする必要がなくなったのは何なのか、省略せずに書きましょう。)
また、便利になっただけでなく、(一方で、という表現は、対立の現象をならべるときに使う。便利になったことと、速くなったことは、即座に対立する現象ではないので、「一方で」のここでの使用は適さない。便利になった「だけでなく」などの表現を使ってみては。)
人々の生活のペースもどんどん加速していく
まだ忙しくて忙しくてしょうがない
気が付かないうちに多忙な毎日。
「忙」という文字自身は心偏に亡くす
最悪の場合は生きている意味が失われ OR 生きる意味を失い
それは全部便利から発足したものである(発足、は組織や運動などを始めること。)
(この文と次の文の区切りが変です「実は便利っていうのはきっと、誰かか何かが、自分の代わりに自分がやるべきことをやってくれるという意味だ。」などが適当でしょうか。)
交通事故で足をけがした人は(「げが」→「けが」)
その時の足の状態をのぞくと
変えられない傾向である(「傾向」という言葉はもともと「下がる」というニュアンスを含んでいます。「傾向」が「下げられない」というのはおかしな表現です。)
プログランムされたままで通りに
残った日々を生きる
ペンを握りながら
字の書き方がを忘れた体験がある
読書や作文を頑張っている
ネイティブに近い文章力だと思います。
いくつか気づいた点を。
正しい句読点の使い方をマスターしましょう。このようにたくさんの改行を使うことは、詩の一形式としては認められますが、正規の文章とは認められません。文章が細切れになっていると校正もしにくいので、改行を減らして句読点を活用するよう心がけてください。
また、濁点と半濁点を間違えないように気をつけましょう。濁点と半濁点の間違いは、コンピュータのディスプレイ上ではfontの関係で見分けにくい場合が多いため、校正してもらえないことがあります。最初に打つときに注意してください!
---------------以下、僕の私的な意見を書いてみました!-------------
時代を遡ると、文章を書くこと、まして書いた文章を公にしたりすることはハイソサエティと文章に秀でた著名人の特権でした。
特別に選び抜かれた人々が書いた文章を、さらに特別に選び抜いて、出版物が作られ、その出版物は高価なものとして流通しました。
しかし、時代とともに徐々に情報通信コストは低下してゆき、いつのまにか、僕ら一般人でも自費出版をしたりインターネットで発表したりする時代になりました。
言い換えれば、質の悪い文章をも残す包容力を僕ら人類は得たのです。
ここで僕の実体験をお話しましょう。僕には、むかし学校の先生をしていた祖母がいます。その祖母が昔書いた文章を、この前帰省したときに読みました。万年筆で書かれた字は、とても達筆でした。でも、残念ながら、お世辞にも上手い文章だとは言えませんでした。
昔の人が文章が上手い、なんてことは単純には言えないと、僕は思います。
一般人が書いた文章をも躊躇無く印刷できる現代の技術に感謝するとともに、
たくさんの駄文の中から、名文を選りすぐっていく方法を、探していきませんか。
それほど昔とは言えないけれども
五十年ほど前の人が書いた文章を見れば
驚くほどうまいという印象が強い。
でもほんとうに先輩たちがうまかったのか
それともわたしたちのレベルが低すぎるのか
作家さんたちのレベルはどんどん下がっていく
間違いだらけだ
人間は言葉を操り
そして言葉に影響されやすいものある
言葉での表現力は著しく下がり続けている
科学的の進歩と関わりがあると思う
便利さとはほんとうにいいことずくめでしょうか
自ら時間をかけてわざわざ遠くまで出向く必要がなくなったのといっしょ(こちらのほうがより日本語的では?と訂正してみました)
一方、生活が便利になったと同時に(こちらのほうがより日本語的では?と訂正してみました)
人々の生活のペースもどんどん加速していく
不思議なことに
以前より何でも迅速に出来るのに
いまだに忙しい忙しくてしょうがない
なぜか毎日が忙しい
「忙」という文字自身は「心辺に亡くす」と書く
つまりいつの間にか本心を亡くしてしまうということだ(きらいというところを、いつの間にかに変えてみました。)
最悪の場合は生きている意味を見出せず
命を絶った人も少なくないだろう
それは全て便利になったということから発足したもの発(はっ)したものである
実は便利であるということは
誰かもしくは何かが自分の代りにやるべきことを
もっとも繁栄を誇る米国では
オビシティー、すなわち肥満病が問題になっているという
家を出るごとに
自動車で移動 する
エレベーターかエスカレーター
便利は便利だが、機械に頼りっぱなしで
人間はかえって退化しているように感じる。(次につなげる表現として、このような感じでいかがでしょう。)
医学的にはそういう理論があるそうだ
病院のベットで寝たきりになってから二か月 が経ち
ようやく自分で歩くようになる
その時、自分の足をみると
とても細く、そして委縮している。
それは自然の摂理で あり
避けられない傾向である
だからこそ、警告したい。(次につなげる表現として、このような感じでいかがでしょう。)
現代人は、なぜぜんぜん文章を書かないんだ
時を経て、まったく書けないという時代が来るのではないだろうか。
人は「よく頭がいい」=「知的」だという
元来知的ということは
表す力、つまり表現力の豊富さ) であると思う。
しかし現代の人は本をあんまり読まないうえに
何でも感じられなくて(神経はすでに麻痺されてたから)(神経はすでに麻痺されてたから→何を意味するのか不明でした。)
プログラミングされたままで
与えられた日々を過ごす。
まあ、「一長一短」かと。