研究論文の最初の分

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グローバリゼーションが時代のキーワードとされる今日、国境を超える人々の流れは着実に増加している。マッスメディア界にも大規模の影響を与える技術発展によって海外情報を手に入る機会は大幅に広がっており、人の移動以上に、情報の流れのグローバリゼーションも顕著に進展しているのである。グローバル化された情報産業は、日本社会の隅々までに浸透し、接触量により最も大衆的なメディアとされるテレビにしても、近頃の多チャンネル化の風潮の中で外国語の放送や海外の映画やドラマを中心とする専門局が出現している。ただし、外国人登場は、限定された視聴者を対照としている専門局のみならず、各局で注目されている。テレビCMのフィクション世界では、外国人や外国イメージを広く採用するのは珍しくともなんともないことが知られている。したがって外国・外国人に関する日本人の認識やイメージは、直接的な接触経験よりも、メディア情報に基づく間接的な接触経験に依存する部分が大きいことに変わりはない。
 ヨーロッパで、宣伝している製品は国内品であれ、輸入品であれ、大方例外なくヨーロッパ人(あるいはアメリカの白人)を出演させるCM世界に囲まれ、これを基礎として見慣れてきた筆者は、日本の雑誌から交通機関の中で貼ってあるプラカードやテレビコマーシャルにかけて、多様な広告手段から見張ってくれる外国人を当初は理解せずに監視していた。その際、頭の中で、ある質問が閃いた。果たして、なぜ日本での宣伝に外国人が用いられるのでしょうか。差別的な意味ではなく、視聴者と基本的な相違があるキャラクターを起用して、商品を販売したい場合は、視聴者が自分自身を登場人物と同等に見なせなく、商品をコマーシャルの対象者として着眼しない(Geis,1993)。かえって、日本のCM界ではこのありふれたこととして見られている仮設は根強く考えられていることであると言えないだろう。外国人を採用することは、内なる国際化の現象のみで解説できるわけではないだろう。外国人を登場させる理由として日本人は外国人に対しての潜在的な良好な(主に体つきに限られている)印象が指摘できるのではないだろうか。
本稿は、日本のテレビコマーシャルに数多くの外国人を起用する背景とそのきっかけを考察するものである。
 何よりもまず外国人の、本稿で使用されている定義を明確にする必要がある。本稿では、外国人という表現を使う際、白人系のことを示す。外国人登場CMで演出する外国人の人種構成を見ると、白人優位の傾向がはっきりと示されているわけである。萩原(1993)の研究では白人は78.0%、東洋人9.3%、黒人3.2%の割合で起用されているということが明らかにされている。日吉(1997)の研究でも登場人物の内訳の構成では、84.1%で、白人への偏向が報告されている。日吉の研究でも示されているように、アジア系登場人物が増加し、欧米偏重傾向には一つの変化が生じたとはいえ、日本人と他アジア系人を区別する知識の欠如のゆえに、本稿では詳細な分析をアジア系人にも広げる目標はない。黒人系登場人物の割合は若干に増加しているとしても、日本人の色に絡んでいる思想の中核をなす白い色と黒色の正反対であることは黒人優勢を束縛するのである。
 黒はマイナス的な要素を思い起こさせる場合が多く、暗闇、不安、罪などを連想しやすい、「悪」の意味付加される色である。仏教では、地獄の色として考えられており、相撲の星取衣で黒星は負けの印であり、文化の視点から見るとしても、黒色は随分以前からマイナスな基準として評価されている。それに対して、白い色は純粋さや清潔さを表し、昔の日本では鉛の板をのばし、白く浮かび出た粉を説き、白粉という伝統的な日本化粧で肌を白く塗ることになった。枕草子に「春はあけぼのやうやうしろくなりゆく」と書いてあるように、明るく感じられる色を「白」としたと述べられる。枕草子や和歌などの代表的な日本の美観には、白い肌の女性が頻繁に描写されており、色白いできめ細かい肌は美人に対する基準で、女性らしさを強調するものであったというわけである。「沿道の女性の肌はお白いをせずとも白く、若い女性の笑い声は小鳥のようである」と当時の国王にも報告されている。
平安時代、女性は高貴な身分の証として「色白」であることを誇り、源氏物語でもいくつかの求愛のシーンで男性が女性の「白さ」を美しいと詠っている。「青みを帯びた白い顔は美しくてすきとおるような皮膚つきである」、「一品の宮のお姿にも劣らず、白く清らかな皮膚の色で、以前より少しお痩せになったのがなおさらお美しく見せた」。白い肌の美しさを保っている伝統、白い肌に対する憧れは、芸者さんや舞妓さん、歌舞伎役者の文化でも生存しているのである。要するに、女らしさや純粋さを象徴する白い色に対する好みは、日本の文化や歴史の流れで根強く広がっているというわけは、コマーシャル界は黒人よりほぼ白人に限定されることの根拠になるのではないだろうか。


先行研究方法

本研究は、先行研究として処理されている研究方法により二つのグループ、統計分析を用いた研究やイメージアンケートを用いた調査に区分できる研究に基づいている研究である。本稿の結論は、この二つの手段を融合した仕方によって浮かび上がる結果やその結果を裏付けるコマーシャル界に熟練した専門家の提出を基にしたものを目的としている。
まず、先行研究として参考にした統計分析を採用した研究方法の趣旨を概略で示す。
CMが流れる民放各局の放送を同じ時間帯に平行録画し、素材としたCMの中に含まれる外国要素を詳細に分析している作業である。またCMで宣伝している商品や業種、登場人物の人種、性別・年齢、役割に関する項目から構成される内容分析が実施される。そういう基本となったものは、背景となる状況設定やナレーション、音声や外国語が提示される場合は、文字の評定などの、研究によって異なる項目と補足されている。
具体的に見れば、1993年六月の一ヶ月間の在京民放五局の8時から24時に放送された全CM 4010作品を分析した萩原の研究において、外国人登場CMは599本であり、比率を計算すると15.0%であり、そのうち78.0%が白人との調査結果が提示されている。これに対して、日吉の研究において、1995年七月一日午前7時から七月三日午後7時までの5局の8074本のCMを分析の上で、外国人を登場人物を含むものは1449本で、全体の17.9%にあたった。そのうち白人が起用したCMは57.8%と最も多かった。また萩原の当該調査を十年後に再び実施し、2003年六月のある一週間の在京民放五局の8時から24時に放送された全CM 2330本に対する調査でも、非白人の割合は若干増加しているものの、18.6%で外国人が使われているCMの登場人物は、相変わらず70%以上(72.9%)が白人ということが把握されている。
萩原の調査において外国CM、外国人か外国の風景のいずれかが使用されたもの(萩原、1993)を多用している業種は、日本企業や国産品より44.0%で外国企業や輸入品のほうが圧倒的に多いことが確かめられる。自動車を中心とする「輸送機器」と「衣料・身の回り品」の2業種で外国人登場の比率が飛び抜けて高いと指摘されている。一方、「電気機器」と「薬品」の割合は最も低いである。いずれにしろ自動車やファッション製品のCMで外国イメージが強調されているわけであり、Mueller (1992)が指摘している通り、概して日常品よりも自我関与の大きい商品に関して外国要素が多用される傾向が示されたといえよう(萩原、1993)。この傾向は萩原の2003年の研究でも変わらないように見られる。外国イメージへの依存度が高い業種のうち、自動車を主体とする「輸送機器」は、日常性との結びつきが弱いものとして捕らえるというわけである。逆に、外国の密着度が低い「薬品」「化粧品・洗剤」では、身近で日常的さが高い商品が扱われている。
萩原の調査は、現場として外国が利用されているCMを「明らかに外国」、「外国らしい風景」という二つの項目に分類する。「外国らしい風景」のほうが若干に多いことと地域別構成も判断されている。地域別構成は「ヨーロッパ」(32.9%)や「欧米」(30.1%)の背景としての優勢を証明しているのである。
統計分析を使用した三つの研究の結果を見る限り、日本のテレビコマーシャルの外国イメージへの依存度の高さは注目すべきであるに違いない。外国人登場割合は増加しつつあり、白人以外の外国人が増えたとはいえ、相変わらず白人の構成比が際立って高く、なお外国イメージといっても、実際に西洋イメージが主流であることがいかなる調査でも示されている。
たとえばHaarmann(1996)の分析では、テレビCMに登場した外国人の8割以上は白人であり、背景となった国・地域もアメリカやヨーロッパと特定できたものだけで半数を超え、どこの国か判然としないまでも欧米風の設定とみなされるものを加えると、外国風景を利用したCMの7割以上が欧米を舞台としていることを示している。それが日本人の「外部」に位置付けられている限りは憧れの対象となるのに対して、いったん「内部」に触れる危険性が察知されると、一転して恐れの対象に変わるという「異文化受容のパラドックス」を論拠として、どのような種類の商品に西洋イメージが利用されるかを詳しく検討し、Haarmannは次のような法則を確立した。第一は、商品の原産地イメージと広告の西洋化との関係に関するもので、和服よりも洋服、日本酒よりも洋酒という具合に西洋起源の商品は、西洋イメージに訴えることが多い、という法則である。第二は、日常性・非日常性の次元に関わるもので、商品が日常生活と深い関連を持ち、不可欠なもの、そして身近な存在に感じられるほど、西洋要素が広告に使用される割合が低い、という法則である。この点に関しては、Haarmannによると洗濯機や掃除機など家庭用電化製品よりもステレオ、ビデオといった贅沢品、ハイテク製品のほうが広告の西洋化度が高い。日本人の側で同一化に払う心理的代償が大きすぎると、白人モデルの使用が忌避される。たとえば、洋服のネーミングには、西洋語が多く使用され、白人モデルの起用率も高いのに対して、それと同様に西洋語の商品名が多い化粧品や頭髪用品の広告で白人起用率が低くなっているのは、身体と間接的に関わる洋服に比べると、化粧品や頭髪用品はより直接的な関係を身体と結ぶために、登場する理想のモデルに消費者が自らのイメージを重ねようとする際に必然的に生じる葛藤が障害になるためである。つまり、西洋風の商品名をつけることと白人モデルを起用することが区別され、それぞれに異なる真理的過程が想定されることになるわけである。
次は、谷川建司「日本における外国人タレントCMの受容傾向の変化」という調査で導入されているイメージアンケートを用いた研究方法を要約する。
谷川の研究ということは、60年代から2000年代にかけての外タレ(谷川の場合、外国の映画スターを起用した)CMに、イメージの変化が見られるかどうかを確認するために、各年代の代表的な外タレCMを40本を収集し、それらを勤務先大学の学生たち、150名に視聴してもらい、印象についてのアンケート調査を実施したものである。分析結果によると、1980年代まで外タレは製品にプラスのイメージや高級感、格好良さを結びつくために起用されているということが述べられる。ところが、80年代から視聴者に失笑を買うために、外タレがくだらない駄洒落を言わされるケースが増加してきたと主張されている。理由として「非日常的空間の中でしかお目にかかれないはずの映画界の大スターを、消費者の日常的空間に引き摺り下ろして、そのギャップを楽しむ」ことが挙げられている。
1969年に資生堂が男性化粧品の広告にアメリカの人気俳優チャールズ・ブロンソンを起用して話題を呼んだことが、多くの外国人タレントを起用するきっかけになったとされている。日本の企業CMにはハリウッドをはじめ、世界各国の豪華なセレブ(既にこういう俳優たちを示す「japander」という言葉も生まれたようである)が依然として出現する。たとえば、報道陣のかたまりで車を降り、輝く髪で自身や美しさをあふれ出させるキャサリン・ゼタジョーンズの階段を登る姿で人気を博しようとしている「あなたの髪に揺るぎない輝きを」、「トップへと輝く階段は」という標語で宣伝しているラックス・スーパーリッチシャインのCMである。あるいは、素敵な海外を背景としており、穏やかなBGM(バックグラウンドミュージック)で開放感を連想させるロバート・デ・ニーロに運転させるスバル・レガシィの「Love your life」キャンペインを実施しているCMである。
 これらのCMと同じような例をあくまで挙げ続けられるとはいえ、萩原の研究でも前提としたように有名人よりも一般人を起用したもののほうが飛び抜けて多い。ただし、外国人登場人物は、有名人であるか、一般人であるかという観点から入念に検討せずにより、外国人登場人物に付与されているイメージは「白人」であることに由来するのか、「外タレ」であることに由来するのか、考慮するすべきだと思われる。
本稿の研究方法
本研究は上記で紹介した研究といくつかの相違点を導入することを目指している。統計分析を用いた研究の場合でもイメージアンケートの場合でも、知名度に関わる依存度を図るために登場人物は名がありなしによって分類して分析する。またイメージアンケートの場合、谷川の調査で援用した5段階スケールのかわりに4段階スケールを使用する。5段階であれば、答えを表す数字から一番当てはまるのを選びにくい際、通常中間に位置する、無難な3番が選択されている傾向が見られるゆえに、4段階スケールを使用する場合、より明確な結果が期待されるわけである。
May 31st 2009 21:44 kei

  • マッスメディア界にも大規模の影響を与える技術発展によって海外情報を手に入る機会は大幅に広がっており、人の移動以上に、情報の流れのグローバリゼーションも顕著に進展しているのである。
  • スメディア界にも大規模の影響を与える技術発展によって海外情報を手に入る機会は大幅に広がっており、人の移動以上に、情報の流れのグローバリゼーションも顕著に進展しているのである。

 

  • グローバル化された情報産業は、日本社会の隅々までに浸透し、接触量により最も大衆的なメディアとされるテレビにしても、近頃の多チャンネル化の風潮の中で外国語の放送や海外の映画やドラマを中心とする専門局が出現している。
  • グローバル化された情報産業は、日本社会の隅々までに浸透し、接触量により最も大衆的なメディアとされるテレビにおいても、近頃の多チャンネル化の風潮の中で外国語の放送海外の映画やドラマを中心とする専門チャンネルが出現している。

 

  • ただし、外国人登場は、限定された視聴者を対照としている専門局のみならず、各局で注目されている。
  • ただし、テレビへの外国人登場は、限定された視聴者を対照としている専門局のみならず、各局で注目されている。

 

  • テレビCMのフィクション世界では、外国人や外国イメージを広く採用するのは珍しくともなんともないことが知られている。
  • テレビCMのフィクション世界では、外国人や外国イメージを広く採用するのは珍しくともなんともないことが知られている

 

  • したがって外国・外国人に関する日本人の認識やイメージは、直接的な接触経験よりも、メディア情報に基づく間接的な接触経験に依存する部分が大きいことに変わりはない。
  • したがって外国・外国人に関する日本人の認識やイメージは、直接的な体験よりも、メディア情報に基づく間接的な体験に依存する部分が大きいことに変わりはない。

 

  • ヨーロッパで、宣伝している製品は国内品であれ、輸入品であれ、大方例外なくヨーロッパ人(あるいはアメリカの白人)を出演させるCM世界に囲まれ、これを基礎として見慣れてきた筆者は、日本の雑誌から交通機関の中で貼ってあるプラカードやテレビコマーシャルにかけて、多様な広告手段から見張ってくれる外国人を当初は理解せずに監視していた。
  • ヨーロッパで、宣伝している製品は国内品であれ、輸入品であれ、大方例外なくヨーロッパ人(あるいはアメリカの白人)を出演させるCM世界に浸かっている。これを常識として見慣れてきた筆者は、日本の雑誌から交通機関の中で貼ってあるプラカードテレビコマーシャルに至るまで、多様な広告手段から見張ってる外国人を当初は理解せずに注目していた。

 

  • 果たして、なぜ日本での宣伝に外国人が用いられるのでしょうか。
  • 果たして、なぜ日本での宣伝に外国人が用いられるのでしょうか。

 

  • 差別的な意味ではなく、視聴者と基本的な相違があるキャラクターを起用して、商品を販売したい場合は、視聴者が自分自身を登場人物と同等に見なせなく、商品をコマーシャルの対象者として着眼しない(Geis,1993)。
  • 差別的な意味ではなく、視聴者と基本的な相違があるキャラクターを起用して、商品を販売しようとする場合は、視聴者が自分自身を登場人物と同等に見、商品をコマーシャルの対象者として着眼しない(Geis,1993)。

 

  • かえって、日本のCM界ではこのありふれたこととして見られている仮設は根強く考えられていることであると言えないだろう。
  • かえって、日本のCM界ではこの定説常識であると言えないだろう。

 

  • 外国人を採用することは、内なる国際化の現象のみで解説できるわけではないだろう。
  • 外国人を起用することは、内なる国際化の現象のみで解説できるわけではないだろう。

 

  • 外国人を登場させる理由として日本人は外国人に対しての潜在的な良好な(主に体つきに限られている)印象が指摘できるのではないだろうか。
  • その理由として、日本人外国人に対しての身体的なコンプレックス潜在的な良好な(主に体つきに限られている)印象が指摘できるのではないだろうか。

 

  • 何よりもまず外国人の、本稿で使用されている定義を明確にする必要がある。
  • 何よりもまず外国人の、本稿で使用されている外国人の定義を明確にする必要がある。

 

  • 本稿では、外国人という表現を使う際、白人系のことを示す。
  • 本稿では、外国人という表現白人系のことを示す。

 

  • 外国人登場CMで演出する外国人の人種構成を見ると、白人優位の傾向がはっきりと示されているわけである。
  • 外国人登場CMで演出する外国人の人種構成を見ると、白人優位の傾向がはっきりと示されているわけである

 

  • 萩原(1993)の研究では白人は78.0%、東洋人9.3%、黒人3.2%の割合で起用されているということが明らかにされている。
  • 萩原(1993)の研究では白人78.0%、東洋人9.3%、黒人3.2%の割合で起用されているということが明らかにされている。

 

  • 日吉の研究でも示されているように、アジア系登場人物が増加し、欧米偏重傾向には一つの変化が生じたとはいえ、日本人と他アジア系人を区別する知識の欠如のゆえに、本稿では詳細な分析をアジア系人にも広げる目標はない。
  • 日吉の研究でも示されているように、アジア系登場人物が増加し、欧米偏重傾向には一つの変化が生じたとはいえ、日本人と他アジア系人種を区別する知識の欠如のゆえに、本稿では詳細な分析をアジア系人種にも広げるつもりはない。

 

  • 黒人系登場人物の割合は若干に増加しているとしても、日本人の色に絡んでいる思想の中核をなす白い色と黒色の正反対であることは黒人優勢を束縛するのである。
  • 黒人系登場人物の割合は若干増加しているとしても、日本人の白色に抱く潔白なイメージと黒色の正反対の色を持つ事は黒人優勢を束縛するのである。

 

  • 黒はマイナス的な要素を思い起こさせる場合が多く、暗闇、不安、罪などを連想しやすい、「悪」の意味付加される色である。
  • 黒はマイナス的な要素を思い起こさせる場合が多く、暗闇、不安、罪などを連想しやすい、「悪」をイメージさせる色である。

 

  • 仏教では、地獄の色として考えられており、相撲の星取衣で黒星は負けの印であり、文化の視点から見るとしても、黒色は随分以前からマイナスな基準として評価されている。
  • 仏教では、地獄の色として考えられており、相撲の星取で黒星は負けの印であり、文化の視点から見るとしても、黒色は随分以前からマイナス基準として意味づけされている。

 

  • それに対して、白い色は純粋さや清潔さを表し、昔の日本では鉛の板をのばし、白く浮かび出た粉を説き、白粉という伝統的な日本化粧で肌を白く塗ることになった。
  • それに対して、白い色は純粋さや清潔さを表し、昔の日本では鉛の板をのばし、白く浮かび出た粉を溶き、白粉という伝統的な日本化粧で肌を白く塗ることになった。

 

  • 枕草子に「春はあけぼのやうやうしろくなりゆく」と書いてあるように、明るく感じられる色を「白」としたと述べられる。
  • 枕草子に「春はあけぼのやうやうしろくなりゆく」と書いてあるように、明るく感じられる色を「白」としたと述べられている。

 

  • 枕草子や和歌などの代表的な日本の美観には、白い肌の女性が頻繁に描写されており、色白いできめ細かい肌は美人に対する基準で、女性らしさを強調するものであったというわけである。
  • 枕草子や和歌などの代表的な日本の美観には、白い肌の女性が頻繁に描写されており、色白きめ細かい肌は美人に対する基準で、女性らしさを強調するものであったというわけである

 

  • 白い肌の美しさを保っている伝統、白い肌に対する憧れは、芸者さんや舞妓さん、歌舞伎役者の文化でも生存しているのである。
  • 白い肌の美しさを保っている伝統、白い肌に対する憧れは、芸者さんや舞妓さん、歌舞伎役者の文化の中に存在している

 

  • 要するに、女らしさや純粋さを象徴する白い色に対する好みは、日本の文化や歴史の流れで根強く広がっているというわけは、コマーシャル界は黒人よりほぼ白人に限定されることの根拠になるのではないだろうか。
  • 要するに、女らしさや純粋さを象徴する白い色に対する日本人の好み、日本の文化や歴史の流れで根強く広がっているという事実が、コマーシャル界において起用される人種が黒人よりほぼ白人に限定されることの根拠になるのではないだろうか。

 

  • 本稿の結論は、この二つの手段を融合した仕方によって浮かび上がる結果やその結果を裏付けるコマーシャル界に熟練した専門家の提出を基にしたものを目的としている。
  • 本稿の結論は、この二つの手段を融合した方法によって浮かび上がる結果や、その結果を裏付けるコマーシャル界に精通した専門家の発表を基にしたものから導きだされる。

 
難しい文ですね。
少しだけ添削しました。
論文発表頑張って下さい。
May 31st 2009 22:03 KIM

  • 研究論文の最初の分
  • 研究論文の最初の

 

  • グローバリゼーションが時代のキーワードとされる今日、国境を超える人々の流れは着実に増加している。
  • グローバリゼーションが時代のキーワードとされる今日において、国境を超える(越える)人々の流れは着実に増加している。

 

  • マッスメディア界にも大規模の影響を与える技術発展によって海外情報を手に入る機会は大幅に広がっており、人の移動以上に、情報の流れのグローバリゼーションも顕著に進展しているのである。
  • スメディア界にも大規模影響を与える技術発展によって海外情報を手に入る機会は大幅に広がっており、人の移動以上に、情報の流れのグローバリゼーションも顕著に進展しているのである。

 

  • テレビCMのフィクション世界では、外国人や外国イメージを広く採用するのは珍しくともなんともないことが知られている。
  • テレビCMのフィクション世界(?)では、外国人や外国イメージを広く採用するのは珍しくともなんともないことが知られている

 

  • ヨーロッパで、宣伝している製品は国内品であれ、輸入品であれ、大方例外なくヨーロッパ人(あるいはアメリカの白人)を出演させるCM世界に囲まれ、これを基礎として見慣れてきた筆者は、日本の雑誌から交通機関の中で貼ってあるプラカードやテレビコマーシャルにかけて、多様な広告手段から見張ってくれる外国人を当初は理解せずに監視していた。
  • ヨーロッパで、宣伝している製品は国内品であれ、輸入品であれ、大方例外なくヨーロッパ人(あるいはアメリカの白人)を出演させるCM世界に囲まれ、これを基礎として見慣れてきた筆者は、日本の雑誌から交通機関の中で貼ってあるプラカードやテレビコマーシャルにかけて、多様な広告手段から見張ってくれる外国人を当初は理解せずに監視していた。(?)

 

  • その際、頭の中で、ある質問が閃いた。
  • その際、頭の中で、ある質問が閃いた。

 

  • 差別的な意味ではなく、視聴者と基本的な相違があるキャラクターを起用して、商品を販売したい場合は、視聴者が自分自身を登場人物と同等に見なせなく、商品をコマーシャルの対象者として着眼しない(Geis,1993)。
  • 差別的な意味ではなく、視聴者と基本的な相違があるキャラクターを起用して、商品を販売したい場合は、視聴者が自分自身を登場人物と同等に見なせなく、商品をコマーシャルの対象者として着眼しない(Geis,1993)。 ⇒論文の引用方法があいまいなのが気になります。以下、日本人の論文の際は「萩原(19××)」で、外国人の場合「(Geis,19××)」とスタイルが違うのはなぜでしょうか?

 

  • かえって、日本のCM界ではこのありふれたこととして見られている仮設は根強く考えられていることであると言えないだろう。
  • かえって、日本のCM界ではこのありふれたこととして見られている仮設仮説は根強く考えられていることであると言えないだろう。

 

  • 外国人を採用することは、内なる国際化の現象のみで解説できるわけではないだろう。
  • 外国人を採用することは、内なる国際化の現象のみで解説説明できるわけではないだろう。

 

  • 外国人を登場させる理由として日本人は外国人に対しての潜在的な良好な(主に体つきに限られている)印象が指摘できるのではないだろうか。
  • 外国人を登場させる理由として日本人は外国人に対しての潜在的良好な(主に体つきに限られている)印象が指摘できるのではないだろうか。

 

  • 本稿では、外国人という表現を使う際、白人系のことを示す。
  • 本稿では、外国人という表現を使う際、白人系のことを示す。 ⇒これは…いいんでしょうか?

 

  • 日吉の研究でも示されているように、アジア系登場人物が増加し、欧米偏重傾向には一つの変化が生じたとはいえ、日本人と他アジア系人を区別する知識の欠如のゆえに、本稿では詳細な分析をアジア系人にも広げる目標はない。
  • 日吉の研究でも示されているように、アジア系登場人物が増加し、欧米偏重傾向には一つの変化が生じたとはいえ、日本人と他アジア系人を区別する知識の欠如のゆえに、本稿では詳細な分析をアジア系人にも広げる目標はない。(?)

 

  • 黒人系登場人物の割合は若干に増加しているとしても、日本人の色に絡んでいる思想の中核をなす白い色と黒色の正反対であることは黒人優勢を束縛するのである。
  • 黒人系登場人物の割合は若干増加しているとしても、日本人の色に絡んでいる思想の中核をなす白い色と黒色の正反対であることは黒人優勢を束縛するのである。(?)

 

  • 黒はマイナス的な要素を思い起こさせる場合が多く、暗闇、不安、罪などを連想しやすい、「悪」の意味付加される色である。
  • 黒はマイナス的な要素を思い起こさせる場合が多く、暗闇、不安、罪などを連想しやすい、「悪」の意味付加されるイメージを持つ色である。

 

  • 要するに、女らしさや純粋さを象徴する白い色に対する好みは、日本の文化や歴史の流れで根強く広がっているというわけは、コマーシャル界は黒人よりほぼ白人に限定されることの根拠になるのではないだろうか。
  • 要するに、女らしさや純粋さを象徴する白い色に対する好みは、日本の文化や歴史の流れで根強く広がっているというわけは、コマーシャル界は黒人よりほぼ白人に限定されることの根拠になるのではないだろうか。 ⇒色に対する例が多すぎる気がします。本論はそこではないはず。

 

  • 本研究は、先行研究として処理されている研究方法により二つのグループ、統計分析を用いた研究やイメージアンケートを用いた調査に区分できる研究に基づいている研究である。
  • 本研究は、先行研究として処理されている研究方法により二つのグループ、統計分析を用いた研究やイメージアンケートを用いた調査に区分できる研究に基づいている研究である。(?)

 

  • 本稿の結論は、この二つの手段を融合した仕方によって浮かび上がる結果やその結果を裏付けるコマーシャル界に熟練した専門家の提出を基にしたものを目的としている。
  • 本稿の結論は、この二つの手段を融合した仕方方法によって浮かび上がる結果やその結果を裏付けるコマーシャル界に熟練した専門家の提出を基にしたものを目的としている。

 

  • そういう基本となったものは、背景となる状況設定やナレーション、音声や外国語が提示される場合は、文字の評定などの、研究によって異なる項目と補足されている。
  • そういう基本となったものは、背景となる状況設定やナレーション、音声や外国語が提示される場合は、文字の評定などの、研究によって異なる項目と補足されている。

 

  • いずれにしろ自動車やファッション製品のCMで外国イメージが強調されているわけであり、Mueller (1992)が指摘している通り、概して日常品よりも自我関与の大きい商品に関して外国要素が多用される傾向が示されたといえよう(萩原、1993)。
  • いずれにしろ自動車やファッション製品のCMで外国イメージが強調されているわけであり、Mueller (1992)が指摘している通り、概して日常品よりも自我関与の大きい商品に関して外国要素が多用される傾向が示されたといえよう(萩原、1993)

 

  • この傾向は萩原の2003年の研究でも変わらないように見られる。
  • この傾向は萩原の2003年の研究でも変わらないように見られる(同様の兆候が見られる)

 

  • 次は、谷川建司「日本における外国人タレントCMの受容傾向の変化」という調査で導入されているイメージアンケートを用いた研究方法を要約する。
  • 次は、谷川建司「日本における外国人タレント(以下、外タレ)CMの受容傾向の変化」という調査で導入されているイメージアンケートを用いた研究方法を要約する。

 

  • 1969年に資生堂が男性化粧品の広告にアメリカの人気俳優チャールズ・ブロンソンを起用して話題を呼んだことが、多くの外国人タレントを起用するきっかけになったとされている。
  • 1969年に資生堂が男性化粧品の広告にアメリカの人気俳優チャールズ・ブロンソンを起用して話題を呼んだことが、多くの外国人タレントを起用するきっかけになったとされている。

 

  • またイメージアンケートの場合、谷川の調査で援用した5段階スケールのかわりに4段階スケールを使用する。
  • またイメージアンケートの場合、谷川の調査で援用採用した5段階スケールのかわりに4段階スケールを使用する。

 

  • 5段階であれば、答えを表す数字から一番当てはまるのを選びにくい際、通常中間に位置する、無難な3番が選択されている傾向が見られるゆえに、4段階スケールを使用する場合、より明確な結果が期待されるわけである。
  • 5段階であれば、答えを表す数字から一番当てはまるのを選びにくい際、通常中間に位置する、無難な3番が選択されている傾向が見られるゆえに、4段階スケールを使用する場合、より明確な結果が期待されるわけである。 ⇒仮に谷川論文の再検証を行なうことになった場合、スケールを変えてしまっては、後の分析に影響しないか?リカートスケールをあえて5から4にする必要はないと思います。

 
初めまして♪勝手に添削してすみません。
論文の冒頭部分、興味があって拝読しました。
日本語の文章の添削と言う意味ではほとんど誤りもなく、素晴らしいと思います☆

論文として、多少気になるのが、
①「言葉の使い方がまちまちであること。「外国人タレント」と「外タレ」など。」
②「本論とは直接関係のない説明が長い。色に関しての話など。」
③「何の統計分析をするかが不明。予想される結果など。」
です。

差し出がましい意見をお許しください。
それと頑張ってください(^^)/

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