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    <title>Lang-8 : mikadomino's Latest Journal Entries</title>
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    <description>mikadomino's latest journal entries</description>
    <copyright>Lang-8 Inc.</copyright>
    <pubDate>Tue May 29 08:01:08 UTC 2012</pubDate>
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    <title>mikadomino : 歴史ある町での祭り (1)</title>
      <description><![CDATA[

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<img alt="3b6443840db4cbd7ac3ff2c547eaa5576a08389d" src="http://image.lang-8.com/w120_h120/3b6443840db4cbd7ac3ff2c547eaa5576a08389d.jpg" /><br />

<img alt="D88d8429e3173250db34eab8e852a604e0a6725b" src="http://image.lang-8.com/w120_h120/d88d8429e3173250db34eab8e852a604e0a6725b.jpg" /><br />

現代の首都ヴィリニュスから約３５キロー離れたネリス川の近くにある古都ケルナヴェは自然がきれいで、リトアニアの昔の時代をよみがえらせるところです。ルナヴェには５つ大きな丘があります。丘の上から眺める景色は、ネリス川河岸に広がる田園の風景が遠くまで続きて、ほかの丘を上ったり登ったり人の小さな姿も見えます。ケルナヴェには旧石器時代後期から中世時代にかけての居住跡や要塞や埋葬遺跡などが今でもたくさん残っています。そのため、ケルナヴェは2004年に古代遺跡としてユネスコの世界遺産に登録されました。ケルナヴェはリトアニア人にとっても特別な場所です。<br /><br />ケルナヴェ地域には、だいたい旧石器時代の末には最初の住民が村を建てられたそうです。中石器時代や新石器時代に入ると、その村が増えていました。13世紀のケルナヴェは、リトアニアの国家の形成において重要な役割を果たしたそうです。5つの丘からできった強力な防衛システムが国の平和や安全を守りました。ケルナヴェは東ヨーロッパの強い町として栄華を誇ってた地方であって、リトアニアで最初の首都でもあったと考えられています。ケルナヴェには特殊の技術を身に付けた工芸職人や輸入のための装飾を作った職人が住んでいたそうです。また、リトアニアの最初の商人もケルナヴェに住んでいました。でも１４世紀にドイツとの戦争でケルナヴェが焼かれてしまいました。時代が進むと、都市の遺跡は土に覆われて湿った湿地のようになりました。このおかげで遺跡がきれいに保たせていて、今観光客にも見ることができるのです。<br /><br />今、夏のケルナヴェは活気に溢れています。毎年、いろいろな古代の祭りが行われて、国内や外国外からたくさんの人が集まります。例えば、考古学的な探検イベントに考古学者や歴史家などが参加して、昔のリトアニアの歴史を教えたり、中世的な職人の芸能が紹介したりします。そして、職人がそれぞれ隣の国やバルト海の周辺から来て、伝統的な芸術や技術を見せます。職人が民族衣装を着て、きれいに見えます。民族の音楽が演奏したり、民俗の生活が上演したりされています。子供たちにもいろいろな娯楽があります。それは昔の遊びを学ぶことや粘土の手作りをすることなどです。古代の祭りの一番面白いことは模擬の中世の戦いのパフォーマンスです。<br /><br />リトアニアの伝統的な露の祭りもケルナヴェで行われる有名な行事です。1967年には、大学生の一団が昔の習慣を回復して露の祭りを開きました。これが後に伝統になりました。数十年の間にその祭りは魂を清らかにするだけでなく、ソ連の強制や国民の意識に刻まれた屈辱に反抗するためのものでもあったのです。祭りを禁止しようとするソ連の動きもありましたが、うまくいきませんでした。<br /><br />露の祭りは農耕生活やリトアニア昔の宗教に関係がある祭りです。昔のリトアニア人が自然の中に神があると信じられていました。ですから水や草花などが強い力を持ち、特に、露の祭りに植物の呪力が現れると言われていました。古くからの言い伝えによると、夏至の夜中に一瞬だけシダが花を咲かせるそうです。それを探しに、人々は朝まで森を散歩するのです。露の祭りにケルナヴェの丘の上には薪が積まれて、日暮れに大きな焚き火に火を起こられます。人が手を取り合って、焚き火を回って、踊ったり、歌を歌ったりして、日の出を待ちます。夜空に炎が燃え上がる焚き火の景色は神秘な雰囲気を作るでしょう。<br /><br />昔のリトアニアの習慣や生活様式を理解するために、ケルナヴェでの祭りに参加することはいい機会だと思います。<br />
<br /><br />Posted at Wed May 26 17:34:50 UTC 2010<br />]]></description>
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<dc:creator>mikadomino</dc:creator>
<pubDate>Wed May 26 17:34:50 UTC 2010</pubDate>
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    <title>mikadomino : 私の国の季節 (1)</title>
      <description><![CDATA[

<img alt="0b543946c48977ec3e34f7300d750e63f8e267a4" src="http://image.lang-8.com/w120_h120/0b543946c48977ec3e34f7300d750e63f8e267a4.jpg" /><br />

リトアニアという私の国はヨーロッパの真中に位置しています。リトアニアの気候は、温帯性なので、日本と同じで、１年は３ヶ月ずつ四つの季節に分かれています。四季を通じて暑すぎり日や寒すぎり日あまりありませんから、リトアニアは温暖な天候に恵まれているといえるでしょう。リトアニアは小さい国なので、東の端から西の端にかけて温度があまり違いません。<br />リトアニアの夏はおどやかで、心地がよいです。３０度まで気温が上がることもありますが、湿度が低くて、蒸し暑くないので、日本と比べて、暮らしやすいです。一番暑いのは八月の上旬です。夏は、日照時間も長くなって、朝は５時頃には明るくて、日没も２２時頃になります。夏のとき、人々は短い日差しを楽しめるので、いい天気を利用して、海や湖に遊びに出かけて、帰る時間画遅くなります。気候の変わりやすいリトアニアでは、夏の間、３０度を越す日が続いたかと思ったら、突然１０度まで気温が下がることもあって、気温差も大きいので、服装には気をつける必要があります。そして、朝晩は冷えることも多いです。夏のとき、リトアニアでは一時的な雨がよくあります。明るい日があるようですが、突然の雨に降られたこともあります。夏になると、リトアニアの森林でいろいろな実がたくさんなって、冬のために必要な栄養が取れます。そして、本当に暖かくなると、ボルシチという冷たいスープが恋しくなります。<br />日本では９月はまだ気温が厳しいかもしれませんが、リトアニアの九月はもう秋の気候なので、天気がだんだん寒くなって、寒暖計は零下に下がるときも、初雪が降るときもあります。木々の葉が紅葉し始めたのは、十月の中旬です。森は黄色や赤いやオレンジの葉に美しく包まれていて、人々の心を和ませます。リトアニアの秋には雨が降りたりやんだりして、人々は家にこめられています。実は、リトアニア人は天気に大きく影響されています。大勢の人々は憂鬱な気持ちになって、太陽の日が懐かしくなります。リトアニアでは、秋が来ると、いろいろな野菜やきのこがたくさん取られたり、りんごの枝にぎっしりと実がなっていたりします。リトアニア人は野菜を缶詰にしたり、ベリーのマーマレードを作ったり、生ジュースを絞ったりして、冬期のために蓄えます。<br />冬に、リトアニアは自然の魅力に溢れた国です。公園や林を歩けば、足の下に雪がきしむ音をして、枝がその白い指で空を包む素晴らしい光景に満足することでしょう。つららが家の軒を飾って、朝の草に霜が降りています。リトアニアの冬は、日本に比べると、寒くて厳しいです。湖が溶けて、川に薄く氷も張ります。よくぼたん雪が降っていて、雪が５０センチメートルぐらいもつもったことがあります。気温がマイナス１０～１５度まで下がる日もよくあります。リトアニアの街には、三日連続平均気温がせっし８度以下になっていれば、セントラルヒーティングが使えます。でも田舎や地方では、家を薪で温めます。リトアニアではこたつのようなものがあれば、便利だと思います。冬の間は、日照時間が短くて、曇りの日が多いので、よい天気があったら、人々が自然へ行って、遊びます。リトアニアでは山がないので、冬季のスポーツの間に、クロスカントリースキーが一番人気です。そして、子供たちはよく小さいそりに乗ったり、雪合戦をしたり、雪だるまを作ったりして楽しめます。<br />三月になると、春が始まりますが、本当に暖かくなるのは、四月の末です。雪が溶けて、低い地方で川の水がよくあふれてしまいます。でも洪水の被害はごくわずかです。たくさんのいろいろな植物が芽を出して、緑の葉が少しずつ出てきて、庭のところどころは甘い香りの花で満ちています。人々は好天を利用して庭いじりをしたり、野菜を育てたりしてすごします。リトアニアでは各々の気節の温度差は極めて違うので、人々は季節の変わり目に衣替えをします。冬の厚い服や長靴を衣装箱へ返して、もっと薄手の服を羽織ります。リトアニアには梅や桜の花見のような行事があまりありません。でも日本と関係があるリトアニア人は小さな桜公園に集まって、魅力的な桜の花びらに見とれます。<br />
<br /><br />Posted at Fri Oct 23 18:36:13 UTC 2009<br />]]></description>
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<pubDate>Fri Oct 23 18:36:13 UTC 2009</pubDate>
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    <title>mikadomino : 友達の住んでいるところ (0)</title>
      <description><![CDATA[

<img alt="Dad29a56b9d74b9363bc53b283ef36bff0eb49ce" src="http://image.lang-8.com/w120_h120/dad29a56b9d74b9363bc53b283ef36bff0eb49ce.jpg" /><br />

ラサさんという私の友達は今リトアニアの首都のビリニュスで中心部の近いにあるアンタカゥニスという住宅街に住んでいます。姉と一緒に寮に住んでいます。でもその寮に引越ししたばかりそうです。ビリニュス大学が入る前にビリニュスの近くにある町に家族と一緒に住んでいたのです。ラサさんは、ビリニュスはきれいな町だと思いますが、懐かしい生まれ故郷の町を思い出して、なんかさびしくなると言いました。ですから休みになると、いつも家族を会いに行きます。ラサさんは、今の住んでいる家の周りに緑や公園が多くて、景色がすばらしくて、空気がおいしいと言いました。でも毎日たくさん仕事をしなければならないので、森林を散歩するの時間がぜんぜんありません。ラサさん家の近くに一つの小さいコンビニしかないので、特別なものを買いたかったら、もっと遠いにあるデパートへ行かなければなりません。時間があったら、姉か友達と一緒に一番近いある大きいショッピングセンターへ行って、それをぶらぶら歩いて、服やほうかの必要なものを買います。ラサさんの家の近くにアパートの住宅街やバスターミナルやスタジアムがあります。そのスタジアムでは子供たちがよくフットボールをしったり、体育祭を行ったりするので、全体の地方がにぎやかになって、ラサさんにとって静かで勉強ができなくなります。そして、寮の周りにたくさんの学生や若者が住んでいるので、よくダンスパーテイーをしたり、時々酒を飲んで騒ぎます。でも週末になると、たくさん隣人の人々が実家に帰って、静かになります。ラサさんは、住んでいるところは生活に便利だと思っています。バス停が５分を歩くとすぐあるし、大学があまり遠いし、活気があるところのです。でも将来にラサさんは自立しようと思って、自分のアパートが欲しがっています。<br />ラサさんはビリニュスに住むことが好きだと言いました。以前に住んでいた町で娯楽があまりありませんでした。ですからラサさんは今よく中心部や娯楽街などいろいろなところへ遊びに行きます。特にビリニュスの旧市街が気に入れるそうです。そこでたくさんのきれいで、歴史があるところがあって、古い建物が周りの風景と調和していると思っています。ラサさんはよく旧市街の狭い道を歩いていったり、ゲディミナス城へ登ったり、美しい景色を楽しんでいます。<br />
<br /><br />Posted at Sun Oct 18 11:35:36 UTC 2009<br />]]></description>
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<pubDate>Sun Oct 18 11:35:36 UTC 2009</pubDate>
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    <title>mikadomino : 私の国 (0)</title>
      <description><![CDATA[

<img alt="4cb38ef1b12e4094ce1ab024fbe9d60dcc9102d0" src="http://image.lang-8.com/w120_h120/4cb38ef1b12e4094ce1ab024fbe9d60dcc9102d0.jpg" /><br />

私の国はリトアニアの共和国です。ヨーロッパの中心にあって、バルト海に面しています。リトアニアの隣に、南にポーランドがあって、東にベラルーシがあって、北にラトビアがあります。そして、近くに位置する国はドイツやロシアやノルウェーです。リトアニアはバルト三国の中で一番大きな国ですが、六分の一の日本の大きさほぼ同じです。リトアニアの人口は近年に減少していて、今や３００万人ぐらいです。リトアニアではリトアニア語で話されています。リトアニア語はインドーヨーロッパ語族に属します。ラトビア語に少し似ていますが、珍しくて、古い特徴を持っている言葉ということです。<br />リトアニアの首都は東南部にあるビリニュスという町です。ビリニュスは活気があって、緑が多くて、きれいな町です。ビリニュスは東のヨーロッパには有名な観光地です。中世の香りを色濃く残す旧市街は「小さなローマ」と呼ばれることがよくあります。ビリニュス旧市街はユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産です。そして、美しい教会や古い城などが観光者を感度します。<br />前に述べたように、リトアニアは歴史の古い国です。１００５年に初めて歴史に乗って、１３世紀にリトアニア大公国という国家が成立しました。１７７２年にソ連に併合して、１９１８年に独立を宣言しましたが、４０年にソビエト連邦の一部でした。１９８９だけソ連から分けられて、独立をしまた。今やリトアニアとロシアの関係は日本と韓国か中国の関係に同じです。普通リトアニア人とロシア人は親切に話しますが、政治のことだったら、すぐけんかしてしまいます。<br />リトアニアの気候的な特徴は日本の北海道と似ています。四季があります。冬は寒く、厳しいものです。気温がマイナス１０～１５度まで下がる日よくあります。冬の間は、日照時間が短くて、昼間でさえ曇りの日が多いので、冬をより辛いものに感じさせます。それでも、よくぼたん雪が降っていて、雪景色はとても美しく、人々の心を動かします。春になると、雪が溶けて、川の水がよくあふれてしまいます。たくさんのいろいろな植物や花が育ちはじまります。夏は、30度まで気温が上がることもありますが、湿度が低くて、蒸し暑くないので、日本と比べて、暮らしやすいです。リトアニアは涼しい気温に恵まれているといえるでしょう。夏のとき、人々は短い明るの日を楽しめて、いい天気を利用して、海や湖に遊びに出かけます。リトアニアの９月はもう秋の気候だので、天気がどんどん寒くなって、初雪が降ったこともあります。<br />昔から平野の国と呼ばれたリトアニアには、リトアニア人にとって山の景色は珍しいです。西と東の方で少ない高台がありますが、ほかの地方は平地ばかりです。一番高い丘は３００メートルぐらいだけです。リトアニアには、38 kmが続いているなバルトの海岸があります。主な港はクライペダ港で、クルシュー砂州の狭い入り口にあります。そのクライペダ市と岩手県久慈市は、琥珀を産出する小規模な沿岸都市という共通点から1989年に姉妹都市提携しました。<br />リトアニアは、日本と同じに、資源が乏しい国です。石油や石灰岩やドロマイトを少し取れますが、全体の国のためにその量が足りません。ですから必要な天然とエネルギー資源のほとんどを近くにあるロシアやドイツやラトビアから輸入しなければなりません。リトアニアの外国貿易の活動は最近増加しています。近くのポーランドやロシアだけでなくて、フランスやスウェーデンも輸出します。<br />リトアニア人は昔から自然からいろいろな資源を活用していたので、自然を大切にしてきました。ですから、リトアニアの経済は、農業に依存しています。リトアニア人はもともと農業や牧畜をやってきました。今までもリネンや麦や野菜や果物などを育てたり、家畜を飼育したり、乳製品を作ったりします。そのような生活状況は食生活に影響しました。食事の中心は肉になってきました。リトアニア人はジャガイモから作った食べ物や野菜スープや黒パンをよく食べられます。リトアニア料理は油濃くて、味が少し辛いということです。<br />リトアニアと日本の関係っていうと、１９９１年に外交関係を樹立しました。２００７年に日本の天皇がリトアニアを訪れました。リトアニアには一番有名日本人は杉原千畝という人です。その人は、第二次大戦の頃、1939年からリトアニアのカウナス町で日本領事館で働きました。ユダヤ人に命というビザを発給してくれて、無実の人々の命をたくさん救いました。日本とリトアニアの一番強いつながりは文化関係ということです。この二十年間、リトアニアによく日本美術の展覧会が開かれたり、映画祭が実地させたり、日本の伝統的な文化のイベントが行われたりしています。多いリトアニア人は日本の文化に触れてみるので、これからも日本とのつながりはもっと強くなるかもしれません。<br />
<br /><br />Posted at Sat Oct 10 15:58:59 UTC 2009<br />]]></description>
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<pubDate>Sat Oct 10 15:58:59 UTC 2009</pubDate>
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    <title>mikadomino : 日本語の授業 (0)</title>
      <description><![CDATA[

<img alt="79f7b337c49c637d374fcdea074c5d23f67ac313" src="http://image.lang-8.com/w120_h120/79f7b337c49c637d374fcdea074c5d23f67ac313.jpg" /><br />

私はビリニュス大学に日本学を専攻しています。一週間に４回日本語の授業を受けって、読解も聴解も会話も文法もいろいろの種類があります。<br />私たちに二人の先生が教えます。この人はリトアニア人ですが、母語話者と間違えられるくらい、日本語が上手です。先生たちは教えるだけでなく、辞書や複雑な論文を書いたり、本を翻訳したりもします。授業中は先生も私たちも日本語もリトアニア語も使います。でもできるだけ日本語で話すようにしています。分からないことがあったら、先生は身振り手振りを使って、日本語で言いかえたり、例をあげたりしてくれます。語の意味を取られなかった学生があれば、リトアニア語で説明してくれます。<br />聴解の授業だったら、初めに、ミニテストを書きます。テープを聴いて、正しい答えを選びます。その後、宿題を集めさせたり、直した宿題について少し話合ったりします。最後に、ビデオを見たり、質問に答えたり、新しい言葉を聞き取ってみたりして練習します。たくさんの学生は翻訳家か通訳者になろうと勉強しているので、このような授業は役立つと思います。聴解の終わりで、少し時間があったら、先生は私たちに優しい言い回しとか文を通訳させてくれます。私に翻訳は決して容易ではないので、時々自分で日本語の会話を聞いて、翻訳を原典に忠実にするようにしています。<br />読解の授業中で、読むことはもちろん、漢字も勉強しています。この授業が始まると、すぐテストを書きます。それから、先生はいろいろな面白いテキストを読ませてくれます。日本人の日常生活や習慣や伝統などこのようなものを読んで、読解力を磨くばかりでなく、日本に関する知識も広めます。先生は授業を楽しくするためによくアニメを読ませてくれます。このアニメは簡単そうですが、話し言葉の文法や言い回しがたくさんあって、困るところが多いです。でも私たちは分からないとき、先生は難しい文型を優しく解説してくれます。<br />会話の授業が一週間に二回あります。最初の授業時、会話がよくできるために、いろいろな準備をします。初めに、宿題を出して、訂正した宿題を貸してもらいます。先生は私たちのよくある間違いにコメントをして、同じ間違いを二度繰り返さないと注意します。後で、私たちは正しくて、生き生きしている会話ができるために、一人ずつ新しい文法の例文を読んだり、全員で質問を考えたりしておきます。私は喋りやということ言えないので、会話で苦手です。どうやっていい会話を続けるかいつも緊張しています。発音ならリトアニア人にとって問題ではありません。日本語で葉リトアニア語と比べて、アクセントは分かりやすいのです。会話授業中私たちは新しい文法や進出語を使って、ペアで話します。相手をできるだけたくさんいろいろ聞いて、情報を集まって、宿題に相手の答えによると、作文を書かなければなりません。そして、作文を書くのは難しくて、一番時間がかかります。遅くまで書いた作文を何回も繰り返して読んで、残した間違いを直したり、テーマに合わない文を消します。<br />宿題なら、作文ばかりでなく、漢字も自分で勉強しなければなりません。でも漢字を覚えることが好きなので、一日中このような宿題をして過ごせます。漢字をよく覚えるために、一番いい方法はカードを作ることだと思います。最初辞書を引いて、漢字の意味を探します。音読みと訓読みを確認したり、熟語を書いたり、漢字の書き順を覚えたりして勉強します。そして、散歩をするとか大学へ行くとき、漢字のカードを使って復習します。<br />もし試験がなかったら私たちの大学校生活は何と楽しいことでしょうとよく考えますが、本当に試験は重要ということです。試験の後で、どんな弱点にもっと注意したほうがいいかよく分かります。先生は中間テストも試験もさせます。試験の成功はたいてい努力に寄ります。でも時々生懸命に勉強したけれども、悪い点数を取ってしまうくらい、大変です。<br />日本語は学習するのにむずかしい言語だとよく言われます。でも勉強すれば勉強するほど、優しくなるかもしれません。<br /><br /><br />
<br /><br />Posted at Sat Oct 03 18:40:14 UTC 2009<br />]]></description>
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<pubDate>Sat Oct 03 18:40:14 UTC 2009</pubDate>
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    <title>mikadomino : 私の夏休み (0)</title>
      <description><![CDATA[

<img alt="Bdd10b7f8bfcb2997c74e2fb5a6084e3c43609d2" src="http://image.lang-8.com/w120_h120/bdd10b7f8bfcb2997c74e2fb5a6084e3c43609d2.jpg" /><br />

春学期が六月に終わったから、夏休みが始まりました。休みの間にいろいろなところへ行きました。普通毎夏外国旅行も国内旅行も行きますが、今年に母国にだけ夏休みを過ごしました。いろいろなところへ行って、自分の国にたくさんすばらしいところを見つけました。<br />一番印象に残ったところはプレイラという町です。この町はクルシュー砂州という有名な観光地一つの地方です。クルシュー砂州は避暑地として有名であるので、夏には非常に混雑しています。でもプレイラは田舎のようなところそうだので、外国人観光客も居住者もあまり多くなおということです。緑が多くて、静かな町なので、いい休みができます。私はこの夏休みまでその町を訪れたことがないので、行ってみたいと思って、友達と一緒に気楽な二週間の旅に出かけました。ビリニュスからクライペダまでバスで行きました。でもプレイラは、クルシュー・ラグーンとバルト海に囲まれているので、目的地にフェリーで着ました。私たちは片手に小さい旅行カバン、もう一方の手には傘を持ってプレイラで降りました。驚くほど小さくて、人が少ない町でした。初めに、二つの猫以来、だれも見えませんでした。でも少し後、部屋を賃貸しする人は向かえに来てくれて、一緒にクルシュー・ラグーンの海岸で散歩して、この人は古い漁夫の家や完璧を見せたり、プレイラの歴史についてたくさんの話をしたりしてくれました。私たちの泊まった家はクルシュー・ラグーンの近くにあったので、波の音やカモメの声だけでなく、なにも聞こえませんでした。プレイラにいたとき、毎朝早い家を出かけて、新鮮な空気を吸って、クルシュー・ラグーンの海岸沿いにジョギングをすることにしていました。走りながら、水平線に漁船がいくつか見たり、人が住んでいない古い小屋を見つけたり、優しいプレイラ人に会ったりして楽しかったです。天気がよかったので、毎日友達と一緒に自転車で海辺に行って、海水浴したり、日光浴したり、砂から城を建てたりして楽しめました。このすばらしい夏休みをいつも覚えるために、私はきれいな石と貝を集めて、砂と一緒に袋に入れました。プレイラにはおかが多いので、友達と一緒に登山をやってみてにしました。ゆっくり歩きながら丘を登って、あそこから海が見渡せました。私たちは一日中この丘の上に写真をとったり、空想にふけっていたり、喋ったりしてすごしました。夜に時々シーフードのレストランへ行って、おいしいくて、釣ったたて魚を食べました。部屋を賃貸しする人は私たちによく伝統的な魚のスープを作ってくれました。プレイラに休みは短かったですが、本当に忘れられないです。私の好きな故郷のところがまた一つ増えました。<br />ほかの夏休みを家の町で過ごしました。勉強のとき、好きなことをする時間があまりなかったので、夏休みの間本を読んだり、絵を描いたり、手芸をしたりしました。そして、暑い夏休みを利用して、よく森林とか川の近くに遊びに行きました。友達と一緒にキャンプに出かけたり、木の実を拾ったり、ピクニックで楽しく過ごしました。<br />夏休みはとても早く終わってしまいましたが、快い時間を過ごして、たくさんいい思い出ができました。次の夏休みを楽しみにしています。<br />
<br /><br />Posted at Fri Oct 02 19:44:12 UTC 2009<br />]]></description>
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<pubDate>Fri Oct 02 19:44:12 UTC 2009</pubDate>
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    <title>mikadomino : 私の趣味 (1)</title>
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<img alt="A55ca694f1404a410ab2ba7ec9fc2e2b027129e2" src="http://image.lang-8.com/w120_h120/a55ca694f1404a410ab2ba7ec9fc2e2b027129e2.jpg" /><br />

趣味がないと生活があじけないものになるとよく言われています。だれでもみんなひとつでも（at least）趣味を持っています。私といえば、たくさんいろいろなことに興味がありますでも趣味というのは、二つがあります。<br />一つの趣味は絵を描くことです。子供の頃から、いつもどこでも面白いことを描きました。例えば、お母さんは家を出たとき、私は色鉛筆で部屋の壁をきれいにしました。でもどうしてお母さんはこの絵を見て怒ってしまってかぜんぜん分かりませんでした。中学校を出るばかりのときは、絵を描くことにもっと強い興味がわきました。図画の授業中先生は有名な画家の生活についてたくさんの話をして、きれいな絵を見せたり、別な描くことの技術を教えたりしてくれました。希望がある限り、だれでもみんな描くことができるようになると言いました。私は毎日出かけてすばらしい景色を描いてみました。最初にとても難しくて、何回もやってみて、写実的な絵ができませんでした。そして、芸術は感じることと思ったなので、写実主義に興味があまりありませんでした。徐々に抽象芸術に熱中しました。この芸術には理解しにくいものがあるので、万人の好みに合うとは限りないでしょう。でも、抽象ことを描くと、想像力を十分に発揮して、自分の感情を表に出すことができます。私の描いた絵を見て、よく私の気持ちが分かります。そして、絵を描くとき、なにもについて考えなくて、日常生活の苦労をわすれて、冷静になります。図画は孤独な趣味だとよく言われますが、本当に人によって違います。孤独な画家も、技術のクラブに入った図画愛好者もいます。私といえば、同じ興味を持っている仲間をよく会って、いろいろな面白いことをします。例えば、一緒に共同で絵を描いたり、展覧会へ行ったり、創造的なわかものであふれている場所へ行って、遊びます。でも絵を描くことは非常にお金や時間がかかるので、芸術は贅沢品だということです。<br />もう一つの趣味についてですが、手芸鑑賞です。子供の頃から、おばあさんはいつも孫のために靴下を編んだり、服を作ったり、裁縫そしたりしてくれました。私は何かを自分で作ってみたいたびに、おかあさんに手伝いを頼みました。初めて、自分で何かを作るのは無理だと思いましたが、多くの手芸の技術を修得すればするほど、少しずつ簡単になりました。お母さんはどうやて自分できれいなものを作るのを教えて以来、いつも高いアクセサリーを買わないで、自分でかわいいものを作ります。学校の頃、手芸の授業を取っていました。この授業中、有用なことを習って、たくさんの複雑な手作りをやってみました。今は、ネックレスから飾り箱までいろいろな種類の手作りをすることができます。手芸は趣味と実益を兼ねます。例えば、誕生日かクリスマス贈り物のために手作りを上げるのは幸せだと思います。そして、今日では、手作りの商品の値が高いので、売って、お金をもうけることができます。<br />学校のとき、寸暇を惜しんで絵を描いたり、手芸を作ったりしましたが、日本学の勉強を始めた後で、時間が少なくなりました。今は時々だけ何かを作って楽しめます。たぶん、大学を卒業したら、日本で芸術に関係がある科目を専攻したいかもしれません。<br />
<br /><br />Posted at Thu Oct 01 10:56:26 UTC 2009<br />]]></description>
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<pubDate>Thu Oct 01 10:56:26 UTC 2009</pubDate>
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    <title>mikadomino : なぜ日本語を勉強するか (2)</title>
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私が初めて日本に興味を持ったのは、子供のときです。昔おばあさんは巡業で日本へ行って、たくさん有名なところを観光しました。日本の自然や文化や生活はおばあさんを深く感動させました。国に帰った後、毎日寝るまえに私に日本についてたくさん信じられないことを教えてくれました。毎夜侍や芸者や大使の時代についてたくさん話してくれました。私はその光景を心に思い描きて、古い日本の神秘的な影響の下に育ててきました。<br />学校のときは日本の現代文化にも伝統的な文化にも興味がわきました。日本人若者の流行を追って、現代美術や踊りに関心を待ちました。そして、生け花や茶道や書道についてたくさんの本を読んでおいて、いつかこのようなことをやってみたかったです。<br />子供の頃から日本に興味をもっていたので、ビリニュス大学に日本学という専攻を見つけてから、すぐこのようなことを勉強したいと決めました。ビリニュス大学に入ったまえに、ビリニュス大学の夜間学校で半年間日本語を勉強しました。日本語の漢字や文法が難しいですが、珍しくて、きれいな言葉だと思いました。日本人の暮らし方や考え方や文化などが分かるために、日本語は必要と思って、勉強を続くことにしました。日本学の勉強が始まったとき、驚きほど大変でしたが、途中でやめようと思ったことがありませんでした。今日本語を勉強して一年になります。この時間の間日本語が少し上達したと感じます。そして、日本についてたくさん新しいことを習いました。日本の技術も歴史も伝統的な習慣も全部はおもしろくて、いそいそと授業に出て、知識を広めます。<br />いい経験だから、日本で留学したいです。この目的のために一生懸命日本語を勉強して頑張ります。大学を卒業したら、リトアニアに進学するつもりがありません。日本へ行って、大学院で勉強を続こうと思っています。機会があったら、日本で現代と伝統的な文化を勉強したいです。将来、日本文化の関係がある仕事をするつもりです。でもリトアニアと日本間の関係はまだあまり強くないので、国でこのような仕事を見つけられませんでしょう。たぶん、外国で仕事を就職します。翻訳か通訳者になったら、まんぞくしているでしょう。そして、リトアニアでは観光のガイの仕事がいっぱいあるので、ほしいな仕事をできなかったら、ガイドになるそうです。<br />今時世界中日本語を勉強している人が多いですが、リトアニアで本当に少ないです。その人々は日本語を勉強する理由がいろいろなあります。たとえば、日本の会社で働きたい人もいるし、旅行をしたい人もいるし、日本の文化に興味を持つ人もいるし、珍しい国を理解する人もあります。<br /><br /><br /><br />
<br /><br />Posted at Wed Sep 30 18:45:23 UTC 2009<br />]]></description>
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    <title>mikadomino : 日本に来て驚いたこと (2)</title>
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今年九月に研究と見物のために日本へ行きました。あっという間に２週間が近くも経ちました。今振り返ると、本当に悲しいことや辛いことと共に楽しいことや嬉しいことなどいろいろな思い出があり、ここで一番強い印象を与えれて、アグネスさんという日本で住んでいる留学生の述べた所感とくらべるとおもいます。<br />初めて飛行機の窓から日本列島を見たとき、心の中で「信じられない」とつぶやきました。空港で飛行機から降りたとき、日本の空気を深呼吸して、とうとう長年抱いていた夢が叶ったと思いました。はじめの印象はアグネスさんと同じでした。町が大きいし、山が高いし、超高層ビルが多いし、日本人が多かった。日本にくるまえには泊まっているところについて何も分かりませんでした。リンク町という名前だけ知っていました。想像もできなかったのですが、超高層ビルが並んでいる中で小さい店から大きいデパートまでいろいろな店がありました。そして何よりも歩いている人、待っている人、仕事へ急いで人、観光に来た人、色々な人が店の隅から隅まで、また道路の端から端までいっぱいになっていることにとても驚きました。<br />第二の思いは「蒸し暑くてやり切れない」と思いました。その時は足がすくんだくらい絶えがたい暑さでした。日本滞在中で毎日夏らしい天気で、温度は大体３０度でした。はじめは耐えられな勝ったですが、少しずつ日本の天気に慣れました。アグネスさんは日本でもっと長いいったので、いろいろな地域で泊まれた、日本の冬も夏も見ることができました。<br />日本人のあいだで一番人気な話題は料理だそうです。日本人は毎日「何を食べましたか」とか「日本料理で何が大好きですか」という質問をしました。日本のテレビは何で料理番組ばかりなのかと聞かれました。日本料理はおいしくて、健康によくて、あまり高くないので、外国人はおにぎりとかカレーライスとかみそ汁がすきになります。レストランで出てくる料理をいつも以上に食べ過ぎてしったくらいおいしかったです。私もアグネスさんも黒パン以外にリトアニア料理を食べたくなりませんでした。<br />日本ではたくさん持有の習慣があります。日本に着たばかりのときに私もアグネスさんも日本人の暮らし方があまり分かりませんだったので、困ることがありました。例えば、アグネスさんは日本人の正座にびっくりしました。茶道が終わった後、アグネスさんは立つことができませんでしたが、ほかの日本人は大丈夫でした。私といいたら、日本人の食べ方にびっくりしました。ホストファミリー家に着いた日で夕食のときをよく覚えます。お母さんはおいしいすき焼きを作ってくれました。お父さんもお母さんも子供たちもみんな「つるつる」とすごい音を立てて食べ始めました。お母さんは私の驚いている顔を見てから「ぱくつくと、もっとおいしい」と言って、微笑ました。そして、アグネスさんも私もホストファミリーの関係がおかしようでした。別々の家族でも、暇なときには、お父さんは新聞を読んだり、テレビを見たり、ビールを飲んだりして、お母さんは伝統的な専業主婦の役割をして、食事を作ったり、掃除しったり、選択しったりしました。「各家庭のに同じ状況かな」と思いましたが、返事を見つけませんでした。ホームビジットのとき、アグネスさんも私もホ始めて日本の伝統的な家を見ることができました。驚くほど狭くて、天井の低い和室でした。あまりスペースがないので、生活をするのは大変だそうです。でも昔からこのような住宅事情があったので、日本人は賢く空間を使って、便利な生活をしてきました。布団で寝たり、座卓に座ったりするのは本当便利で、楽しかったです。<br />日本にいたとき、もっとよく日本人が分かりました。ほとんどの日本人の明るさは性格なものという感じです。貧乏でも、仕事が大変でも、いつも幸せそうに見えます。この点に関してはアグネスさんと私の意見が同じです。外国人は困ったら、日本人はいつも親切で手伝ってくれます。例えば、アグネスさんも私も日本で何回どこでも迷子になってしまいました。でも日本人を聞いたら、いつも道を教えてくれて、時々一緒に行ってくれます。日本人はいつも優しくてくれて感動しました。親切心は礼儀の本質と言われています。日本人は、外国人と話すとき、大人もたくさんの若者も礼儀正しくおじきをして、丁重に答えます。子供の頃から、年寄りを敬うように教えられて育ったので、知らない老人でも親切で手伝います。日本で動は言葉より大切だとおもいます。アグネスさんは私よりもっと長く住んでいたので、日本の性格に悪い点も見つけました。例えば、日本人がいつも「また会いましょう」とか「また会いたい」と言っても、本当に会いたいかどうか、分かりません。よく自分の感情とか考え方を隠そうとしています。<br />少しずつ日本での生活に慣れて楽しめるようになったところで、国へ帰らなければならない時がきてしまいました。今毎日日本で過ごした時間を思い出して、さびしくなります。日本人の先生もできた友達もホストファミリーもみんなを会いたくなりました。本当にとても戻りたくて、もっと長く住んでみたいです。現代文化という私の興味はアグネスさんと同じなので、日本でこのような科目を勉強すると思っています。これからこの目的のために一生懸命頑張ります。
<br /><br />Posted at Mon Sep 28 21:26:11 UTC 2009<br />]]></description>
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<pubDate>Mon Sep 28 21:26:11 UTC 2009</pubDate>
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