外国語の学習はいつからどのような形で始めるべきか
事実・背景
日本はずっと前から「英語のできない」国と見なされ、海外からも国内からも強い批判を受けてきた(Aspinall 2006:256; Butler & Iino 2005:26)。この状態を改善するため、2003年に日本政府はAction Plan to Cultivate “Japanese with English Abilities” を発表し(Hatori 2005:55)、「コミュニケーションのできる日本人」を育とうとしてきたが、「受験勉強」の圧倒的な重さで生徒も、先生も、さらに親も耳を傾かなかった(Aspinall 2006)のだ。日本の教育はまだ「受験合格」一本である。それが変わらない限りでは、学校で行う英語授業と英語・外国語習得は全く別ものと考えたほうが良いと私が思っているのだ。英語をものにできるようになる気があれば、学校以外の道に辿る必要があるのだ。
英語などの外国語の学習はいつ始めたら子供が効果的に習得することができるのだろうか。この数年「教育をはじめないと…!」という気持ちが強み、英語学習の「始めるべき」年齢は早くなっている一方のである。特にさまざまな英会話学校は親達の心配や不安をつかみ、自分の製品・レッスンを売ろうとしがちなのだ。ほとんどの英会話スクールが「早くから始めることが大切!」「大きくなってからでは遅い!」と宣伝するのだが、それは実際の研究結果に基づくものではなく、マーケティング上での売り文句であることが多いので注意が必要のだ。だが、外国語学習の正しい情報はあまり回っていないため、英語教育はもっとも「自分で判断できない」分野になりつつあり、親はついつい英会話学校を専門家扱いしてしまうのだ。では、その中で子どもを持つ親はどのように判断すれば良いのだろうか。
外国語の学習はいつからどのような形で始めるべきか
いつから、どの形で始めるべきかという問いに対する答えは非常にシンプルのはずだ。子どもが「やりたいと」言ったらやらせば良いのではないか。しかし、現実はそんなに優しいのではなく、「やはり小さいうちになんとか英語を身につけさせてあげたい」と言う声を挙げている親は多いものだ。しかし、小さい子どもに無理やりと英語を学ばせることは本末転倒なのだ。子どもが積極的に外国語を学びたいと言うのなら、話しは別だがそういうケースは残念ながら最も少ないのだ。さらに、興味のないものなら、せっかく小さいうちに覚えた外国語は通常に全部忘れてしまう場合が非常に多いものだ。
そこで私が推奨する方法は、お母さんやご家族と一緒にお子様が“長期的に”英語を楽しむこと。そしてお子様自身が”英語を話す人”として成長していくことだ。そのためにはDVDやCD、良質な絵本が沢山あると良い。そこにご家族の方々の英会話という素晴らしい教材をプラスし、「英語は難しくて相当頑張らないと身に付かない」「日本人だから英語が話せないのが当たり前」という考え方ではなく、「英語を話すのは日常のこと」「楽しいこと」「誰もが当たり前にできること」と思える環境を作るべきだと私が考えています。
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Aspinall, R.W. (2006) 'Using the paradigm of 'small cultures' to explain policy failure in the case of foreign language education in Japan', Japan Forum, 18: 2, 255—274
Butler, Y.G. and Iino, M. (2005) ‘Current Japanese Reforms in English Language Education: The 2003 “Action Plan”’, Language Policy, 4: 25—45
Hatori, R. (2005) A Policy on Language Education in Japan. Second Language Studies, 23: 2, 45—69
日本はずっと前から「英語のできない」国と見なされ、海外からも国内からも強い批判を受けてきた(Aspinall 2006:256; Butler & Iino 2005:26)。この状態を改善するため、2003年に日本政府はAction Plan to Cultivate “Japanese with English Abilities” を発表し(Hatori 2005:55)、「コミュニケーションのできる日本人」を育とうとしてきたが、「受験勉強」の圧倒的な重さで生徒も、先生も、さらに親も耳を傾かなかった(Aspinall 2006)のだ。日本の教育はまだ「受験合格」一本である。それが変わらない限りでは、学校で行う英語授業と英語・外国語習得は全く別ものと考えたほうが良いと私が思っているのだ。英語をものにできるようになる気があれば、学校以外の道に辿る必要があるのだ。
英語などの外国語の学習はいつ始めたら子供が効果的に習得することができるのだろうか。この数年「教育をはじめないと…!」という気持ちが強み、英語学習の「始めるべき」年齢は早くなっている一方のである。特にさまざまな英会話学校は親達の心配や不安をつかみ、自分の製品・レッスンを売ろうとしがちなのだ。ほとんどの英会話スクールが「早くから始めることが大切!」「大きくなってからでは遅い!」と宣伝するのだが、それは実際の研究結果に基づくものではなく、マーケティング上での売り文句であることが多いので注意が必要のだ。だが、外国語学習の正しい情報はあまり回っていないため、英語教育はもっとも「自分で判断できない」分野になりつつあり、親はついつい英会話学校を専門家扱いしてしまうのだ。では、その中で子どもを持つ親はどのように判断すれば良いのだろうか。
外国語の学習はいつからどのような形で始めるべきか
いつから、どの形で始めるべきかという問いに対する答えは非常にシンプルのはずだ。子どもが「やりたいと」言ったらやらせば良いのではないか。しかし、現実はそんなに優しいのではなく、「やはり小さいうちになんとか英語を身につけさせてあげたい」と言う声を挙げている親は多いものだ。しかし、小さい子どもに無理やりと英語を学ばせることは本末転倒なのだ。子どもが積極的に外国語を学びたいと言うのなら、話しは別だがそういうケースは残念ながら最も少ないのだ。さらに、興味のないものなら、せっかく小さいうちに覚えた外国語は通常に全部忘れてしまう場合が非常に多いものだ。
そこで私が推奨する方法は、お母さんやご家族と一緒にお子様が“長期的に”英語を楽しむこと。そしてお子様自身が”英語を話す人”として成長していくことだ。そのためにはDVDやCD、良質な絵本が沢山あると良い。そこにご家族の方々の英会話という素晴らしい教材をプラスし、「英語は難しくて相当頑張らないと身に付かない」「日本人だから英語が話せないのが当たり前」という考え方ではなく、「英語を話すのは日常のこと」「楽しいこと」「誰もが当たり前にできること」と思える環境を作るべきだと私が考えています。
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Aspinall, R.W. (2006) 'Using the paradigm of 'small cultures' to explain policy failure in the case of foreign language education in Japan', Japan Forum, 18: 2, 255—274
Butler, Y.G. and Iino, M. (2005) ‘Current Japanese Reforms in English Language Education: The 2003 “Action Plan”’, Language Policy, 4: 25—45
Hatori, R. (2005) A Policy on Language Education in Japan. Second Language Studies, 23: 2, 45—69
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この状態を改善するため、2003年に日本政府はAction Plan to Cultivate “Japanese with English Abilities” を発表し(Hatori 2005:55)、「コミュニケーションのできる日本人」を育成しようとしてきたが、「受験勉強」の圧倒的な重圧で生徒も、先生も、さらに親も耳を傾かなかった(Aspinall 2006)のだ。
それが変わらない限りは、学校で行う英語授業と英語・外国語習得は全く別ものと考えたほうが良いと私は思っているのだ。
英語をものにしようとする気があれば、学校以外の道に頼る必要があるのだ。
この数年「教育をはじめないと…!」という気持ちが強まり、英語学習の「始めるべき」年齢はますます早くなっている一方である。
特にさまざまな英会話学校は親達の心配や不安をつかみ、自社の製品・レッスンを売ろうとしがちなのだ。
ほとんどの英会話スクールが「早くから始めることが大切!」「大きくなってからでは遅い!」と宣伝するのだが、それは実際の研究結果に基づくものではなく、マーケティング上での売り文句であることが多いので注意が必要だ。
だが、外国語学習の正しい情報はあまり回って来ないため、英語教育は最も「自分で判断できない」分野になりつつあり、親はついつい英会話学校を専門家扱いしてしまうのだ。
では、この状況で子どもを持つ親はどのように判断すれば良いのだろうか。
いつから、どの形で始めるべきかという問いに対する答は非常にシンプルのはずだ。
子どもが「やりたい」と言ったらやらせれば良いのではないか。
しかし、現実はそんなに甘くはなく、「やはり小さいうちになんとか英語を身につけさせてあげたい」と言う声を挙げている親は多いものだ。
しかし、小さい子どもに無理やり英語を学ばせることは本末転倒なのだ。
子どもが積極的に外国語を学びたいと言うのなら話は別だがそういうケースは残念ながら最も少ないのだ。
さらに、興味のないものなら、小さいうちにせっかく覚えた外国語は通常全部忘れてしまう場合が非常に多いものだ。
そこにご家族の方々の英会話という素晴らしい教材をプラスし、「英語は難しくて相当頑張らないと身に付かない」「日本人だから英語が話せないのが当たり前」という考え方ではなく、「英語を話すのは日常のこと」「楽しいこと」「誰もが当たり前にできること」と思える環境を作るべきだと私は考えています。
大学、高校の入試システムが現状のまま続くとすれば、公教育での英語授業は、
さほど変わらない/変われないと思います。英語をコミュニケーションの道具という
位置づけでとらえた授業体制づくりを望みます。
また、英語教育を充実させるのであれば、思考の根本となる国語(日本語)運用能力を
もっとつけられるような時間を学校教育の中でもつべきだと考えます。思考の土台があって
はじめて、中身のある表現が可能となるからです。
わたし個人の意見では、英語は日本語と発音、文法など、異なる点が多いですよね。ヨーロッパの人々が自国にいながらにして英語をマスターできるのは、言語的に似たところがあるからだと思います。
そして、中学や高校の日本人の英語の先生たちも、"日本的な英語学習"でしか英語を教えてくれません。わたしはイギリスの語学学校で9ヶ月間、ネイティブの先生に英語を教えてもらいましたが、英語での説明の方がsimpleで、理解しやすかったです。日本で教わった英語は日本語で説明することによって、ややこしく、余計に難しかったように思います。
わたし個人の意見としては、子どもが小さい間は、できるだけ英語を楽しむ機会を与えること。そして、10代のうちに海外への語学留学を文部科学省などの機関が積極的に推進・援助することが必要かと思います。
ずっと、島国である日本の中で暮らしていると(特に東京や大阪以外の地方)、世界のことが全然見えない気がします。でも、吸収力の高い10代の間に、海外でいろいろな国の人たちが英語をコミュニケーションのツールとして使っているのを知り、彼らと友情を築くうちに、本当の英語の必要性を"自分自身"で感じることが出来るんだと思います。
「英語が話せないのは当たり前」という考えは、今も日本に根強くありますね。
誰かが、ちょっと発音の良い英語を話すと、「お~!」となりますし(笑)
ただ、大企業の多くは、「英語が話せるのは必要最低限」と言われているほどビジネスにおいての英語の重要性は高まっています。今、少しづつですが英語に対する日本人の考え方も変わろうとしているのかな・・とは思いますが、日本の教育制度の中にそれがしっかりと組み込まれていないのが現実ですね。
そうですか?どこの大学ですか?今大学院の論文のリサーチをやっているところで、Aspinallが書いたものは特に興味深い。
>子どもが小さい間は、できるだけ英語を楽しむ機会を与えること。そして、10代のうちに海外への語学留学を文部科学省などの機関が積極的に推進・援助することが必要かと思います。
賛成です。
でもほとんどの場合は、考え方さえ変えれば誰でも英語できるようになれると思います。もし学校では複雑な文法説明を少しだけ減らして、「できると思えばできるよ!」ぐらいなことを教えたら今の状況は違うと思います。
わたし達は、経済学を主体に学んでいますが、いくつか学科がわかれています。(経済学科以外にも、例えばファイナンス学科や、社会システム学科などがあり、Aspinall先生は社会システム学科の教授です。http://www.econ.shiga-u.ac.jp/)
わたしはAspinall先生のゼミで異文化コミュニケーション・理解論について学びました。先生はとても穏やかで信頼できる方です^^
そうですね!わたしには、2才~3才の姪が4人いるのですが、ときどき、テレビでみた英語の歌を歌ってくれたり、美味しいものを食べる時に、Yummy yummy!と楽しそうに言います^^
わたしも、22才のときに初めて海外で暮らして英語を話すようになりましたが、本当に、「できると思えばできる!」という感じでしたね。思い出しました^^
この状態を改善するため、2003年に日本政府はAction Plan to Cultivate “Japanese with English Abilities” を発表し(Hatori 2005:55)、「コミュニケーションのできる日本人」を育てようとしてきたが、「受験勉強」の重圧のため生徒も、先生も、さらに親も耳を傾けなかった(Aspinall 2006)のだ。※耳を傾ける(他動詞) 家が傾く(自動詞) ※圧倒的な重さ=重圧(じゅうあつ)のほうが自然だと思います。
それが変わらない限りでは、学校で行う英語授業と英語・外国語習得は全く別ものと考えたほうが良いと私は思っているのだ。
英語をものにできるようになる気があれば、学校以外の道(方法)に従う必要があるのだ。
この数年「教育をはじめないと…!」という意識が強くなり、英語学習を「始めるべき」年齢は早くなる一方のである。
特にさまざまな英会話学校は親達の心配や不安をあおり、自分の製品・レッスンを売ろうとしがちなのだ。 ※「不安をつかむ」の意味は理解できますが、「不安を煽ってレッスンを売ろうとする」という表現のほうが自然だと思います。
ほとんどの英会話スクールが「早くから始めることが大切!」「大きくなってからでは遅い!」と宣伝するのだが、それは実際の研究結果に基づくものではなく、マーケティング上での売り文句であることが多いので注意が必要のだ。
いつから、どういう形で始めるべきかという問いに対する答えは非常にシンプルなはずだ。 ※英語の形容詞をカタカナにしたものは、ほとんど「な形容詞」になります。
しかし、現実はそんなに易しくはなく、「やはり小さいうちになんとか英語を身につけさせてあげたい」と言う声を上げている親は多い。
子どもが積極的に外国語を学びたいと言うのなら、話しは別だが、そういうケースは残念ながら非常に少ないのだ。
さらに、興味のないものなら、せっかく小さいうちに覚えた外国語は通常に全部忘れてしまう場合が非常に多いものだ。 ※「~ものだ」は「普通(一般的に)~である」という意味を持っているので、「通常」はないほうがよいと思います。
そこで私が推奨する(すすめる)方法は、母親やご家族と一緒に子供が“長期的に”英語を楽しみ、 ※ ~は・・・だ。
そして子供自身が”英語を話す人”として成長していくことだ。
そこにご家族の方々の英会話という素晴らしい教材をプラスし、「英語は難しくて相当頑張らないと身に付かない」「日本人だから英語が話せないのが当たり前」という考え方ではなく、「英語を話すのは日常のこと」「楽しいこと」「誰もが当たり前にできること」と思える環境を作るべきだと私は考えている。
日本はもともと多言語環境ではないので、小さいうちから英語を学ばせるということは易しくはないと思います。それでも、小さいうちから外国語が身近にあれば、「勉強する」という気負いを感じずに、慣れていくことはできると思います。
わたしは中学校に入ってから英語を勉強しましたが、遅すぎたとは思っていません。日本人に必要なのは、「間違ってはいけない」という強迫観念をなくすことと、積極的にコミュニケーション力だと思います。この2つがあれば、大きくなってからでも語学の習得はある程度可能だと思います。日本人は自分の意見を言うことや人を説得させることに慣れていません。日本人的なコミュニケーション方法を英語にそのまま持ち込んでも、うまくはいかないのです。
私もそう思います。「完璧じゃないとダメ」というようなプライドを少し忘れて、自信さえ持てばどんな人にでも英語の学習が楽になります。ちなみに私も24歳になってから日本語を勉強しましたが、何も遅すぎと思っていません(まだ勉強中だが~)。
これだけ日本語できるなんてびっくりしました。
この状態を改善するため、2003年に日本政府はAction Plan to Cultivate “Japanese with English Abilities” を発表し(Hatori 2005:55)、「コミュニケーションのできる日本人」を育成しようとしてきたが、「受験勉強」の負担の大きさから生徒も、先生も、親ですらも耳を傾けなかった(Aspinall 2006)のだ。
それが変わらない限りでは、学校で行う英語授業と英語・外国語習得は全く別ものと考えたほうが良いと私は思う。
本気で英語をものにしようと思うなら、学校以外に頼らざるを得ない。
この数年「教育をはじめないと…!」という意識が高まり、英語学習の開始年齢は早期化の一途を辿っている。
特にさまざまな英会話学校は親達の心配や不安を煽り、自分の製品・レッスンを売ろうとする傾向にある。
ほとんどの英会話スクールが「早くから始めることが大切!」「大きくなってからでは遅い!」と宣伝するのだが、それは実際の研究結果に基づくものではなく、マーケティング上での謳(うた)い文句に過ぎないことが多いので注意が必要のだ。
だが、外国語学習の正しい情報はあまり出回っていないため、英語教育はもっとも「自分で判断できない」分野になりつつあり、親はついつい英会話学校を専門家扱いしてしまうのだ。
さらに、興味のないものなら、せっかく小さいうちに覚えた外国語は忘れ去られてしまう場合が非常に多いものだ。
既になされている添削以外の言い回しを挙げてみました。
日本語は母音が英語よりも圧倒的に少ない言語ですが、発音の習得には幼い方が良いと言われています。そのため、学校授業のような文法の座学は大きくなってからでもいいとしても、幼い頃から英語の発音に慣れさせることは必要ではないかと思います。
現に私も英語の読み書きはなんとかできるというレベルにはなりましたが、未だに話す/聞くはできません…(T_T)
発音の場合は確かに早ければ早いほど良いのです。しかし、大人になっても無理では有りません(ただかなりの時間が必要)。「英語を身に付けさせたい」という考えを持つ親は本当に発音だけを集中にして良いだと思います。良い発音をできるようになるのに高い学費もつまらない勉強も全く必要ありませんし、小さい子どもに楽だと思います。
そこにご家族の方々の英会話という素晴らしい教材をプラスし、「英語は難しくて相当頑張らないと身に付かない」「日本人だから英語が話せないのが当たり前」という考え方ではなく、「英語を話すのは日常のこと」「楽しいこと」「誰もが当たり前にできること」と思える環境を作るべきだと私は考えています。It is very difficult to simply explain the difference between「が」and「は」, but 「が」is incorrect here. In this context, if you say 「〜だと私が考えています」, it implies that "it is not any other person but me that thinks ~." However, please notice that this implication is one aspect of「が」, I mean,「が」doesn't always have that implication.
子どもが積極的に外国語を学びたいと言うのなら、話しは別だが、残念ながらそういうケースは残念ながら最も極めて少ないのだ。[NOTE] ここは、客観的な事実の報告、というスタイルで言った方がいいと思いますので、主張性のニュアンスがある「のだ」を使わない方がいいと思います。(僕なら、使いません)
さらに、興味のないものなら、せっかく小さいうちに覚えさせた外国語はであったとしても、本人の興味に適っていなかったのであれば、通常当たり前のように全部忘れ去られてしまう場合が非常に多いものだのだ。[NOTE] この文では、「無理やり学ばせるのは本末転倒なのだ」という帰結に対する、根拠の核心部分だと思います。「学ばせる」と「覚えさせる」とを呼応させる方がいいと思います。そうしないと、「せっかく」という言葉が、うまく機能しなくなります。「せっかく」には、「良い結果を期待して」というニュアンスがあります。「良い結果を期待して」いたのは親の方ですから、「親が子供に学ばせる」という形にしないと、スッキリとしない変な感じが残ってしまいます。
Action Plan to Cultivate “Japanese with English Abilities”については、「『英語が使える日本人』 の育成のための行動計画」という日本語表記が正式なものだと思いますので、こちらの表記の方がいいのではないかと思います。
日本の学校教育は、まだ「受験合格」一本である。
それが変わらない限りは、学校で行う英語授業と英語・外国語習得は全く別物だ[別のものである]と考えたほうが良いだろう。
(少し読みやすくしました)/それでは、英語などの外国語の学習をいつ始めれば、子供が効果的に学習することができるのだろうか。/それでは、英語などの外国語を子供が効果的に習得するためには、学習をいつ始めればよいだろうか。
しかし、小さい子どもに無理やり英語を学ばせることは、本末転倒なのだ。
「~ある/思う」「~だ」という述語と、「ます/です」「ました/でした」という丁寧な述語は、混ぜて使いません。どちらかに統一して使います。
日本語がとても上手で、とても驚きました。
わたしも、学校教育だけでは、英語を好きになれませんでした。ただ、受験予備校にはユニークな講師がいましたので、その時にほんの少し好きになり、最近になって、幼児向けから大人向けまでの様々な本やDVD等を読んだり観たりするようになり、英語がものすごく楽しいものになってきました。
これほど楽しいものだということを、子供のうちに知ることができるなら、それは本当に価値があることだと思います。
私は勉強が楽しくなければ継続するのは無理なタイプですから、子供のうちに「英語が楽しいよ!」と教えることはとても大事だと思います。
そこにご家族の方々の英会話という素晴らしい教材をプラスし、「英語は難しくて相当頑張らないと身に付かない」「日本人だから英語が話せないのが当たり前」という考え方ではなく、「英語を話すのは日常のこと」「楽しいこと」「誰もが当たり前にできること」と思える環境を作るべきだと私は考える。
(学校の作文の授業などで生徒に教えるレベルでは、「です・ます」体と平易体は、どちらか一方で統一するように、と教えます。)
平易体と「だ・なのだ」体を使用して格調高く書くと、文章のレベルは高いと感じられる反面、読者とは、一線をひいたような、「上から目線」のような文章となり、読者の反感をかうかもしれない、というデメリットがあります。そこで、最後を「です・ます」体の文章で締めくくって、読者に近親間、共感を持たせよう、という作戦です。
しかし、今回の文章の最後を「私が考えています。」で結ぶと、これは「自虐ネタ」のようになってしまってます。「今までさんざんえらそうなことを言ってきたけど、これらの発言は、私が勝手に考えていることですので無視していただいて結構なことなんですよ」と文章全体を落とすような効果があります。日本文化の「謙譲表現」に通じるような修辞法だと思います。
「私が考えています。」>「私は考えています。」>「私は考えている」>「私は考える」の順に、自虐的ではなくなって格調高い文体になっていきます。
「考える」なのか「考えている」の選択については、英文法の現在形と現在進行形の違いと同じで、「考えている」の方が一時的な考えであり、絶対的なものではない、との意思表示をしている点で、より「謙譲的」であり、「考える」の方がより「頑固で自分の信念を曲げない」ニュアンスがあると思います。
僕は、この一番最後の文体の選択は、とても大事な選択だと思います。オリジナルの文章を読むと、
最後の最後に自信がなくなったのか、
あるいは、最後の最後で、「謙譲」を入れたのか、
あるいはnon-nativeならではの、単なるミスか、
の3とおりを疑います。